続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

あなたが水を飲まないのは勝手だけれど・・・

数日前、中学校の職員室で旦那さんが同僚と談笑していると、ある女性教諭が入ってきて言ったそうです。

 

 

「ここは誰もラマダン(※)やってる人いない?」

 

(※今年は先週から始まった、イスラム教における年に一度の断食のこと。妊婦や病人、子供以外は太陽が出ている日中は一ヶ月間飲食禁止。)

 

 

持参のペットボトルを開けながら、女性教諭は続けます。

 

 

「さっきの授業で女子生徒二人に言われちゃったのよね。“・・・先生!私たちラマダン中なんで、私たちの前で水を飲まないでください。”って。びっくりしたんだけど、よくできる生徒だし、言われてから水が飲めなくなったのよ。」

 

 

とんでもない話です。

 

 

イスラム教の教えを他人に共有させた女子生徒たちはもちろん、それを受け入れた女性教諭の対応もあってはならないことです。

 

 

女性教諭はイスラム教徒ではなく、ラマダン中ではありません。よって、彼女には授業中に水を飲む自由がある。

 

 

そもそもが、教師というのは数十分間ずっとしゃべっているため、喉が渇く職業です。うちの旦那さんなんかは、ペットボトルを片時も離さずに授業をしているといいます。それを個人の意向で“禁止”するのは、拷問ともいえます。

 

 

イスラム教徒がフランス各地に点在している今、イスラム教徒の知り合いがいないフランス人は稀になりつつあります。なので、ラマダンのたびに「あっ、そういえば飲めないんだったね」と、こちらが飲み辛くなる場面に出くわすのは事実です。

 

 

でも今回のように、イスラム教徒がラマダン中であることを敢えて思い出させ、それを共有させる例は稀です。

 

 

イスラム教には豚肉を食べてはならないという教えもありますが、だからと言って、食事中に「俺は食べないんだからお前も食べるな」と他人に強要するイスラム教徒はいません。

 

 

このことは、ムハンマドの偶像崇拝禁止の教えにも、そっくりそのまま当て嵌まります。

 

 

1月7日のテロ以降、「偶像崇拝はイスラム教では禁止されているんだから、それを尊重すべきだ」という声が日本では後を絶ちませんが、ラマダンを例にとって「イスラム教ではこれから1ヶ月、日中の飲み食いは禁止されているんだから私たちも断食しよう」という人はいないはずです。逆もしかり。「私が断食してるんだから、あなたもしてよ」と他人に強要するイスラム教徒はいません。

 

 

そう考えると、なぜ偶像崇拝禁止の教えだけがこれほどまでに狂気や誤解を招いているのか不思議に思えてきます。

 

 

ラマダンと偶像崇拝禁止は同じ教えでも優劣の差があるのでしょうか?

 

 

たとえ偶像崇拝禁止の教えがラマダンより優位だとしても、それはイスラム教徒たちが位置づけることであって、イスラム教徒ではない私たちには関係のないことです。

 

 

狂気に怯え、ましてや自粛によって自由が奪われるなんてことは絶対にあってはなりません。

 

 

だから、前述の女子生徒たちは他人にラマダンを強要してはならないし、女性教諭がそれを受け入れる義務はない。

 

 

そして、イスラム教徒たちには「ムハンマドを描くな」と風刺画家に禁止する権利がなければ、私たちがそれを受け入れ、自粛し続ける必要も一切ないのです。