続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

市長と被爆者の平和宣言

2015年8月9日、人類史上2つ目の原子爆弾が投下された長崎で、田上富久市長が印象深い平和宣言をしました。

沖縄の地上戦やアジア広域に広がった戦禍に触れ、放射能の被害に苦しむ福島の被災者を労わり、安保法案に言及し、政府に慎重な審議を求めるなど、上辺だけの挨拶に終わらない、誠心誠意を込めた内容でした。

フランスでは時事雑誌「Le point」がネット記事でこのことに言及。 http://www.lepoint.fr/monde/abe-accuse-de-trahir-la-lecon-d-hiroshima-et-nagasaki-09-08-2015-1955699_24.php

「広島と長崎の教訓に背いていることを非難された安倍首相」というタイトルで、冒頭に、田上市長と被爆者代表が安保法案を批判したとあります。

・・・あれ?!市長だけじゃなくて被爆者代表も批判してたんだ!

ググってみると・・・ 西日本新聞のタイトルに「・・・被爆者代表も批判」とありました。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/187648

タイトルにはっきりと書いた日本のメディアはこの新聞だけ。

Le Point 誌が市長も被爆者も同じ国民の代表として同等に扱っているのに対して、日本のメディアの多くは市長中心。市長の発言をより重く受け止め、被爆者代表のそれは蔑(ないがし)ろにしている印象があります。

とにかく私個人に関しては、またしてもフランスメディアで日本のニュースの詳細を知ることとなりました。

被爆者代表の谷口稜曄(すみてる)さん(86)の発言内容は以下の通り。(全文を探したけど見つからず・・・)

「今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆すもので、許すことはできない」

 



以下、田上市長の平和宣言の抜粋です。(全文はコチラで) http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p027411.html


昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。  大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。  

原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。  原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。  若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

(中略)

日本政府に訴えます。 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。  この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。  11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。  「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。

また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。  被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。  原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上富久