一年間シャルリー・エブドを購読して思うこと
あれから一年
シャルリー・エブドを毎週キオスクで買うようになって一年
そのイメージとは裏腹に、紙面の文字数は意外に多く、全ての記事に目を通すことはできませんでしたが・・・
今確実に言えること
それは、私自身がますます「シャルリー」になっていること
こんなに“気の合う”メディアがあったのかと、彼らの考えや精神に納得し共感し感心しながら、読めば読むほど病み付きになっています。
ただし私のような読者は稀で、シャルリーに批判的でなくても「ただ単に笑い飛ばすためのもの」と切捨て、真面目に取り合わない人が多いのも事実。
確かに風刺画は笑うためにもある。でも彼らはなんでもかんでもネタにして笑いを取るためだけに描(書)いているのではありません。
シャルリーにはシャルリーの揺るぎない主義主張があって、ホームページには、その“こだわり”が皮肉いっぱいに明記されています。
https://charliehebdo.fr/charlie/
シャルリーが擁護すること
形容詞を付けないライシテ(=公の場に宗教をもちこまないこと)、ぶれない肯定(言い訳をしないこと)、コミュニティーに頼らない反人種差別主義、党派を超えたエコロジー、(平和の象徴である)白鳩を泣かさずに普遍的価値を追求する姿勢(血を見ずに自由と平和を追求すること)、Nadine Morano(※1)に負けない男女平等、豆腐に甘んじない動物保護活動(菜食主義に逃げずに動物を苦しみから救うこと)、危険因子にならない文芸 (※1 差別的な発言を繰り返している政治家 有名な発言は「フランス人は白色人種。」)
シャルリーが真正面から立ち向かうこと
無知な群集を牛耳る宗教、どこで生まれたのか知らないけど幸せそうな極右、世界を操る億万長者、私たちのコインを使ってカジノで遊ぶトレーダー、ガスマスク生活を余儀なくする実業家(工場経営者)、ボール以上に脳が空っぽのサッカー選手、きのこ採りの邪魔をする猟師(人や犬に対する誤射撃がフランス各地で頻発している!)、BHL(※2)に賛成することを強要する独裁者 (※2 Bernard-Henri Lévyというフランスの作家の略称)
どうでしょう
この主義主張を読んで、「痛快!」だと思ったあなたは、すでにシャルリー
「そういうことだったのか!」と気づいたあなたは、今からシャルリー
「そう言われてもねぇ・・・」と相変わらず納得しないあなたは、これからシャルリー
・・・なんていう冗談はさておき
シャルリーを一年間読み続け、これらの主義主張を目の当たりにして思いを馳せたのは、テロ前のシャルリー。
定期購読者は週2万人、店頭での不定期購読者を合わせても3万人で経営難に陥っていたわけは、ずばり、彼らの“こだわり”に共感していた人たちがその程度しかいなかったから、または、共感するはずの人たちに読んでもらう機会を失っていたからでしょう。
去年の10月にシャルリー・エブドを去った風刺画家・リューズが「同人誌のようなもの」と形容したのは言いえて妙で、わかる人にはわかるけれどわからない人はいつまでたってもわからない(かもしれない)のがシャルリーであり、定期購読者が30万人に増えた今もそれは変わっていません。
風刺画の読み方はもちろん、彼らシャルリー・エブドの主義主張を知らなければ、なぜああいう絵になるのか理解するのは困難なのです。
1月のテロの後、世界的に有名になったことで地球規模で発信されたシャルリーの風刺画は、ほんの数点。
ムハンマドの風刺画が表紙の1178号から今週までに発行されたのは全部で45部。一部につき、少なくとも25点の風刺画が載っているので、一年間に掲載される風刺画の総計は1200点以上。
これだけのこだわりをもったメディアを読むとき、1200点中ほんの数点だけを見て真っ当な解釈をする人が、果たしてどれだけいるでしょうか?
シャルリー・エブドに対する誤解を広めたメディアの罪は重い。しかもこれは風刺画だけの数で、読めば読むほど虜になる記事1000件弱は話題にさえならないのだから、叩きやすそうな風刺画だけをネタにするメディアのほうがよっぽど、シャルリーを差別する差別主義者だと言っても過言ではありません。
実際のところ、昨日発売の特別号に関して、日本のメディアの出だしの遅かったこと!
ムハンマドや福島の原発事故の風刺画が出るとわかったときは、血眼になってネタにしたくせに、今回はそのどちらでもないし、なんだかよくわからないから後でいいや!・・・と思ったかどうかは知りませんが、関連記事がポツポツと出てきたのが前日のこと。中には、書いていない大手新聞社も複数。
確かに今回の表紙の風刺画は難解・・・
というか、これまでも日本人にとっては難解だったのに、適当に解釈して記事にしてきた延長線で書こうと思ったら批判的に書けなくて困ったというのが本当のところかもしれません。
さて、この表紙に描かれているのは、テロリストたちが妄信する“神”が“殺人犯”として逃げる姿・・・ですが、イスラム教の神はいわゆる一神教の神なので、キリスト教とユダヤ教の神でもあります。
そう、この風刺画は、イスラム教だけを批判しているようにみせかけて、宗教そのものに迫っているのです。
前述の「シャルリーが擁護すること、立ち向かうこと」にもあるように、シャルリーは宗教を権力の一つと捉え、1970年の創設以来、口を酸っぱくして批判し続けてきました。
11月13日のテロ直後に書かれた社説が今回の表紙の説明にもなると思うので、以下に日本語訳を載せておきます。 ↓
《悲劇が報道され続けた数日で、多くの言葉が発せられた。一つだけ発せられなかった言葉、それは「宗教」である。「宗教」という言葉はずっと邪魔者扱いされてきた。誰もが避けて通ろうとするが、殺人犯たちの動機が地政学的なデタラメな根拠などにはなく「宗教」にあることに皆が気づいている。信仰のあり方や姿勢が人によって違うことも、信仰しながらリベラル論者になったり、他者の意見を尊重できることもわかっているけれど、「宗教」が凶器になることもわかっている。もう一つ口にするのが憚(はばか)られる言葉、それは「イスラム教」である。ここ20年で「イスラム教」は、過激主義者が無神論者を虐殺し、穏健派を力ずくで服従させる、戦闘する宗教と化した。フランスのイスラム教徒は、同じ宗教の名の下に殺戮が行われ、それによって彼らに対する不信感が根付くのを不愉快に感じているはずだ。これまで通り、誰よりも存在感のないフランスのイスラム教指導者たちに期待できることは何もない。だからイスラム教徒は自分でこの事実に向き合わざるを得ない。過激主義の波に呑み込まれそうになりながら、フランス社会の除け者にされることに怯えなければならないのだ。
そうやってフランス人同士が仲間割れすることに価値を見出すのはテロリストだけである。彼らは、憎悪が彼らの脳を破壊したように、憎しみによってフランス人同士が引き裂かれることを待ち望んでいる。テロリストの目的は、世界中を彼らの暴力下に置くことである。暴力は彼らのコミュニケーション手段であり、その分野においては彼らは常に私たちよりも秀でている。しかし、分裂を避けたいがために、怒りを誘発するからと言って宗教を批判する権利を放棄するなどということはあってはならない。我々の生活を形成するあらゆる自由のうち、その自由(宗教を批判する権利)も、テロリストが排除しようとした中に含まれている。》
宗教を批判する権利・・・
他のどのメディアも自粛しがちなこの権利を、シャルリーは行使しています。
世界中で頻発しているテロの原因の一つ『宗教』に異議を唱える、ただそれだけのこと。
というと、「いちメディアとして、最低限の気遣いがないのはどうなの?」という人がいるかもしれないけれど・・・
それこそが表現の自由。
権力者や読者や視聴者の顔色を伺いながら報道すれば自由はどんどん抑圧されます。(そうでしょ?日本のメディア関係者の皆さん?!)
だからタブーは一切なし。
一つでもタブーを作れば、あれよあれよという間にタブーだらけになる。
今回の表紙についても、「キリスト教に対する侮辱だ!」と非難するキリスト教信者などがいるようですが、前述したように、一神教の神は唯一無二なので、キリスト教だけを批判しているのではもちろんありません。
で、そういう被害妄想のような声をいちいち聞いていると、ぶれてしまう。
ムハンマドがダメで、今度は神もダメだと言われて、次は何が駄目なの?と気にしてしまえばもう何も描けなくなってしまうのです。
だからムハンマドも神もキリストもその他の預言者も、フランスで極右が政権を握って発行禁止処分にでもしない限り、シャルリーは描き続けていくだろうし・・・
・・・あれっ?
イスラム教って、神の偶像化も禁止していたはずでは???
ムハンマドはダメで神だったらいいの?
神のほうが崇拝対象として上のはずでしょ?
えっ?
じゃぁなんでシャルリーの風刺画家たちは殺されたの?
なんで、イスラム教徒は怒ってるの?
で、なんで神を書いたら今度はキリスト教徒が怒るの?
えっ?
キリスト教こそ、偶像崇拝を禁止してるだって?
じゃぁ教会にずらりと並ぶ宗教画はなんなの?
プロテスタント系の教会にはない?
今怒ってるのはプロテスタントだけなの?
そのプロテスタントをまたみんなで擁護するの?
シャルリーは今回も悪者なの?
信仰するものの意見は尊重されて、信仰しないものの意見は尊重されないの?
今もどこかで無神論者が殺されようとしているのに?
・・・あぁ、やっぱり私はCharlieだ!