続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

「米軍基地をなくせば日本は変わる、日本人は変わる」 大江健三郎

ラジオFrance culture 『Hors Champs』連続特別番組Japon 

第七回 ゲスト 大江健三郎

 

2016年1月25、26日

 

 

(インタビュー抜粋)

 

 

Laure Adler(以下A):あなたの日常はどのようなものですか?

 

大江健三郎(以下大):僕は色んな仕事がある場合があります。小説を書くとか文学者の会議を組織するとか。それで僕の一生のテーマは広島と長崎っていうことで、原爆を蒙(こうむ)った日本人、その日本人を変えたかということも含めてですが、僕は日本人は変わっていないと思います。それと同時に沖縄という日本列島の一番南にある島で、僕たちは8000万人いますけど、沖縄には80万くらい、100分の1かな。ところがその沖縄の人の文化っていうのは、政治的な活動と関係してますけど、差別を絶対に受け付けない人たちです。日本という国がいかにアメリカに妥協しても。今、僕が深く強く感じていることは単純なんです。

 

 

A:まだ(アメリカの)占領は終わっていないということですか?

 

大:戦後(占領)が終わっていないというよりも、戦争が終わってないでしょ。今、日本という国で、沖縄は非常に危険な場所であり続けている。沖縄には核兵器の基地があります。もしアジアで戦争が起こったとすると、沖縄の核の基地が最初に攻撃される場合があるのです。

 

日本人は沖縄をアメリカの軍事基地にして今年で70年になるんです。70年間ずっと米軍の基地なんです。米軍がいて、色んな問題が起こりますけど、一番根本にあるのは核兵器による沖縄への攻撃、あるいは沖縄を基地にして反撃しに出て行くというアメリカ軍の軍事活動がいつ起こるかわからないということです。日本政府はアジアの中で強い緊張があると言い続けているわけですから。ところが、中国、北朝鮮、ロシアなどは、日本がいつ戦争を引き起こすかもしれないと、そういう可能性が全くないとは思っていないです。

 

(中略)

 

日本に米軍の基地があることによって、日本人が経済力を付けていって、日本人は沖縄や日本を守る軍備ということに多くのお金を使わなくていいと。その巨大な金を米軍が負担すると。実はそうして日本の経済を負担しているんですよ。日本の経済は他の生き延び方もあります。米軍に撤退してもらって、自衛隊も強化せずに非軍事の沖縄を実現する。そうすると、今まで70年間米軍の基地だったわけで、軍事的にはアメリカに支配されてきたのがこの先10年で軍事関係がなくなる。それができるかどうかはやる気があるかということ。実際に沖縄の基地が緊張する場合があるわけです。基地に反対するために、沖縄の民衆が比率の大きいデモをする。これでアジアにおける日本がアメリカなしの平和を確立して、根本的にやり直そうではないかと。10年間で沖縄の基地をなくすことができれば、15年後、20年後のモデルを作る人がいますよ。

 

平和主義の民主主義を達成しようとする若い政治家たちが政党を作って、例えば3年くらいのうちに革新政府を作る。アメリカの軍隊に撤退してもらう。日本の基地における核兵器も撤廃させる。そういうことを実際にやってみる。それが一年の内に成立する。そうすれば日本というものは変わる。日本人は変わる。今までアメリカに軍事依存して70年。僕は今80歳ですから、10歳の時に戦争が終わって、僕の人生80年のうち10年間が軍国主義の日本ですよ。あとの70年間がアメリカの軍隊によって支配されている国家ですね。そこで僕は生きてきた。それを一度でもいいから日本の平和主義を実現させようという政党が勝ちをおさめて、そういう時が訪れる・・・国内的にも国際的にも様々な圧力が現れて長くは続かないかもしれないけど。そういう時期を一年でもいいから日本に作り出してみる。それが将来の日本人に対する教育として一番いい方法だと思っている。

 

(中略)

 

そういう政府を選挙によって、圧倒的な勝利によって実現する。そういう状態を作り出すことができれば、僕はすっかり違った人間として死んでいけると思っています。しかし、日本の若いインテリも年をとったインテリも、それを本当に実現しようとしている集団がいるかっていうと、いないわけです。これだけ完全に70年間、80年間、100年間と外国の軍隊の基地として国家が運営される国というのは、世界の中でも日本だけです。

 

 

 

A:今、あなたの死について言及されました。あなたには、これまでに自殺をした友人がいて、作品の中でも関連した記述が出てきます。あなたにとって、生きる価値とは何ですか?

 

大:今まで僕は自分の文学の主題として、自殺を考えたことがあります。僕の友人がいて、僕の家内の兄ですが、伊丹十三という非常にいい俳優で映画監督でした。(その彼が)「君は自殺しないと思う」と言った。「君は自殺しようとすれば一度は失敗することは大いにありうる。しかし君は二度失敗しない人間だから。だから今君が生きているということは、一生自殺はしないということなんだ。」そう言ったんですよ。僕はそういう人間で、死について考えますが、結局僕としては現在も80歳になって考えることは、知的障害を持って非常に善良な人間といて、人間というものは根本的に良いものだということがわかるわけですよ。今は僕はもう80歳ですから、もうとにかく70歳くらいから僕の生活はこの家の中にある。そうして生きてきたわけでね。だから自殺はしないだろうと。まぁもちろん老衰で死ぬのは確実です。そういうことを考える場合に、僕は、子供が生きている間に僕が死んでしまったら困るというのが、一番大きな課題だったんです。だから自殺するのは有り得ないということ。それが僕の倫理というもの。そうして80歳になったわけですが、今気がつくのは、僕が死んでも僕の光という子供はそんなに強く深く悲しみを抱くということはなしに、あとの20年、30年生きてくれるんじゃないか、だから僕の人生でできることはこれから死んで10年ないしは20年、光が生きる間の生活を確率すること、それが僕という人間が生まれてきたことの唯一の動機という風に思うんですよ。そして、僕が死んでも息子は音楽を聞いて愉快に生きていく。死ぬという問題に対しては、いつか自分が死んだ後、光が僕の死をどう受け止めるか、どれくらい傷つくか、恐れるかという、それが若い時に一番大きい恐れだったんです。ところが今は、自分の死が息子にとって回復できない大きな傷になることはないと(わかった)。それはね、僕がこれまで一番愛していた学者とか友人とか、例えば渡辺一夫っていうラブレー(※)の学者とか、武満徹っていう作曲家とか、そういう人たちがいない世界っていうのを僕は考えることができなかった。ところが僕は今ね、渡辺一夫なしに、武満徹なしに、のんびり本を読んだり音楽を聞いたりして生きてますよ。やがて武満さんや渡辺さんが死んだように死ぬ時があり、そしてその間光が生き延びていって、時々僕のことを思い出すかもしれないけど、そのこと自体は僕とは無関係なことなんで、すなわち、死の問題はもう僕にはないんです。

 

(※ フランソワ・ラブレー:ルネサンス期の人文学者・作家)

 

 

 

「米軍基地をなくせば日本は変わる、日本人は変わる」 大江健三郎

 

 

音源はコチラ ↓

 

http://www.franceculture.fr/emission-hors-champs-1