シャルリー・エブドがムハンマドを掲載し続ける本当の理由
ブログの更新が滞ってほぼ4年。
今年の9月に次男が幼稚園に入園してから、ずっと再開を模索してきたのですが、書いてはやめ、書いてはやめを繰り返しているうちに11月23日になってしまいました。
・・・ってわざわざ今日の日付を書いたのにはワケがあります。
日本では99,99%の確率でスルーされそうな話題ですが、なんと今日は・・・
シャルリー・エブド刊行50周年記念日なのです!
おめでとう、CHARLIE!!!
ブログをフェイドアウトしかかっている間に、なぜか読者が数人から29人に増えた(※)のですが、その29人の方々がこのことを知ったとして、いったい何人が私と同じように心から祝福するだろうか?
・・・というのはかなり興味のあるところです。
(※この読者29人というのは、以前に使っていた「なちゅらぶ」というブログサーバーにおけるブログで登録された人数です。)
さて、そのシャルリー・エブドが世界的に有名になったのは、ご存知の通り2015年1月7日のことですが、フランス国内における彼らに対する批判は、刊行当時からあったと言われています。
シャルリー・エブドが生まれた背景には、H'Hebdo Hara-Kiriという、前身の風刺新聞の政府による強制廃刊があり、その廃刊を「当然の仕打ち」とする否定的な意見がすでに少なくありませんでした。(注1)
その後、裁判沙汰になったり、社内に火炎瓶が投げ込まれたり、テロの標的にされたりするたびに、この「当然の仕打ち」という自業自得論が蔓延してきました。
でも、私は思うのです。
世界中でテロが起きることが当たり前になった今、なぜシャルリー・エブドばかりが批判され、“自業自得”だと言われ続けているのか?
ここ数年で、教会が標的になったことは数知れません。
なのに、それを受けて、「キリスト教なんか信仰してるからだ」という人は誰もいません。(テロの首謀者はそれを理由にテロを起こすわけですが・・・)
2015年11月13日に、サッカーの競技場でテロがあったとき、「サッカーなんか見てるからだ」と言った人はいません。
テラスが標的になっても、「(お酒飲んじゃいけない人たちがいるのに)悠々と外で飲んでるからだ」と言う人もいません。
ライブハウスにテロリストが侵入しても、「だからさぁ、音楽なんか聞いてるからだよ」と言う人も、もちろんいませんでした。
ましてや、中東で宗派を理由にテロが起きるとき「シーア派なんかやってるから、そんな目に合うんだよ」と、欧米や日本で言う人はいません。
なぜか、なぜなのか、シャルリー・エブドに限って、少なくない人たち(特に左側の人たち)がイスラム教徒が可哀そうだと言いながら、テロリストに賛同し、「あんな画かいてるからだ」と言い続けているのです。
そこで私は考えました。
なぜ、シャルリー・エブドに限って、“自業自得論”が蔓延するのか?
それは、やはり、風刺画の見た目が醜いことが根底にあるのではないか。
以前からブログの右側にリンクを貼っている、今でも推しに推しているのイタリア人映画監督Francesco Mazzaの翻訳記事にもある通り、風刺画は元々見る人を不快にさせるように描くものなのだそうです。
それはイスラム教が登場する1000年以上前の紀元前から続いていて、今も、その“伝統”を継承している新聞社の一つがシャルリー・エブドだと言えます。
では、なぜ、人々の批判を承知でわざわざ不快で醜い画を描くかと言えば、風刺の対象になっている社会や世の中そのものが、不快で醜いものに溢れているからです。
人は美しいものを追求したり、きれいごとを並べ立ててしまいがちですが、現実は、不平等や不公平、犯罪や理不尽に溢れ、もっとドロドロしています。
その現実に目を向けよう!と、呼びかけるのが風刺の役割なのです。
Mazza監督も言っている通り、風刺はただ単に「笑わせる」ためのものではなく、「考えさせる」もの。
よくシャルリーの風刺画家が「世の中を良くしたいから描く」と言うのは、冗談でもなんでもなく、そうして現実に目を向けることで物事の問題点を見つけ、改善策を探すことにつながるから、なのです。
もっと具体的に言うと、例えば、今ミツバチなどの虫が減り続けていますが、それをただ単に報告するだけではなく、なぜ減っているのかを知ろうとするとか、がんの早期発見を訴えるばかりではなく、なぜがんが発症するのかを探ろうとする等々。(シャルリーには、そういう趣旨の科学的な記事がよく掲載されます。)
テロに関しては「あんな奴ら、イスラム教徒じゃない!」で終わらすのではなく、「なぜテロを起こすのか」を追求する。
テロについてそう突き詰めていくと、イスラム教とテロはやはり切っても切れない関係にあり、コーランにその原因があり、イスラム教の「闇の部分」を知った方がいいのではないかというところにたどり着く・・・
私は、2015年のテロの後、「シャルリー・エブドがムハンマドを描き続けるわけ」というタイトルで記事を書いたのですが、ちょっと的外れな内容だったと今更ながら反省しています。というのも、フランスに一定数の同化できない(しようとしない?)イスラム教徒がいて、彼らの多くが通うモスクがテロの温床になっているのは事実なのですが、それはシャルリーがムハンマドを描く一番の理由ではないと今では思うからです。
シャルリーが今でもムハンマドの風刺画を掲載する一番の理由は、やはりイスラム教という宗教を知り、突き詰めた上で、シャルリーなりに疑問視する部分を訴えたいことにあります。
2017年8月、あるイスラム教に関する風刺画が物議を醸した時、シャルリーは、次の号で以下のような特集記事を載せたことがあります。
「宗教と暴力 同一視は辞めよう」(※このタイトルはもちろん皮肉)
と題した見開き2ページで、宗教と暴力の関連性、特に「なぜイスラム教とテロは関連があるか(あると思うのか)」について書かれています。
その中でも私たち第三者が知るべきは、テロのきっかけになっているであろうコーランの抜粋です。
この記事を書くにあたって、私は特集記事のことはうろ覚えで、コーランの抜粋は3箇所くらいだったと記憶していたのですが、実際に数えてみるとなんと、8個所もありました!
更に、シャルリーがお堅いのは、その抜粋のフランス語訳を3種類並行して載せているところ。
フランスでは、誰かが「っていうかさぁ、コーランに書いてあるからテロ起こすんでしょ?」と指摘する度に、「いや、コーランは色んな解釈ができるし、そもそもがアラビア語で読まないと意味がないんだよね。」と口を濁すのは、イスラム教の宗教関係者や擁護者の常習手段なので、ならばと3種類載せて想定外の先回りをした形です。
アラビア語で読まないとダメだと言われて「はいそうですか」と引き下がっては、話になりません。
(でなければ何のために翻訳者がいて、何のための翻訳本なんだ??)
翻訳は年代順に、1979年に出版されたJean Grojean訳、UOIF(フランスのイスラム教徒団体)訳、そして2009年発行のMalek Chebel訳の三つ。
三つ合わせて読むと、現在に近いほど言い回しが回りくどくなっているのがわかります。
とはいえ、大まかな内容は共通しています。
少なくとも「殺せ」が「愛し合え」になったりすることはありません。
フランス語訳を更に日本語訳にすると、説得力に欠けるといわれそうですが、一箇所だけその3訳を比較してみたいと思います。
9章第5節
Jean Grojean訳 「聖月(注2)が過ぎたら、無信仰者を見つけ次第、殺せ。」
UOIF訳 「聖月が過ぎ去った後、キリスト教徒を見つけ次第、殺せ。」
Malek Chebel訳 「聖月が過ぎ去るとき、偶像崇拝者を見つけ次第、立ち向かえ。」
この節を始め、このほかの抜粋も、異教徒や無信仰者に敵意を示すもので、そのすべてをムハンマドが言ったと言われています。
今となってはそれを証明する手立てはありませんが、少なくとも、イスラム教徒、特に過激派はそうであると信じているようです。
シャルリー・エブドはこれらのコーランの記述に基づいて、イスラム教とテロとを結びつけ、教えを説いたとされるムハンマドを描き掲載するわけです。(注3)
そこには、他の新聞社が目を向けようとしない根拠があるだけで、イスラム教徒に対する差別は微塵も存在しません。
不思議なことに、シャルリーのこのような特集ページが物議を醸すことはありません。
世界中に拡散されるのは、悲しいかな、見た目が醜い、一目見ただけではわかりにくい風刺画ばかり。
シャルリー・エブドや私のような読者にとっては受け止め難い現実ですが、それにしても・・・醜くて不快な世の中を、実態に負けないくらい醜く、不快に描くことの何がそんなにいけないのか。
風刺画の不快さが、実際に起きる事件や事故の不快さを超えることはないはずなのですが・・・
(注1 前身のH'Hebdo Hara-Kiriが強制廃刊になった原因の表紙は、ドゴール元大統領の死を揶揄するものでした。画はなく「BAL TRAGIQUE A COLOMBEY 1 MORT(Colombeyで悲劇的な発砲 死者一人)」という記事のタイトルのような言葉だけを並べたもので、不謹慎という批判がほとんどでした。ただ、風刺画を描く上で「不謹慎かどうか」を気にしていては何も描けないので、今となっては何がどうだめだったのかよくわからず、結局は政府の過剰な反応にすぎなかったと言われています。)
(注2 イスラム教における「聖月」は、1月、7月、11月、12月のことのようです。)
(注3 正確には、2015年のテロ以降、新しいムハンマドの風刺画が掲載されたのは一度だけ。9月ごろに物議を醸した風刺画はそれ以前に描かれたものを再掲載した。)