続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

【森喜朗発言】日本社会が時代錯誤な性質から抜け出せない実態が再び明るみに出た byフランスの公共放送

やっと辞意を表明した森喜朗ですが、フランスを始めとする欧米の先進国なら、それが誰であろうと“即死”でした。

つまり、一週間以上堂々と“生き続けた”ということは、やはり日本にそれなりの土壌があるからだと思います。
 
下のリンク先の記事(フランス公共放送)では、そんな日本社会の問題を如実に解説しています。

https://sport.francetvinfo.fr/les-jeux-olympiques/propos-sexistes-du-patron-des-jo-de-tokyo-le-japon-en-queue-de-peloton-de


まず、記事の冒頭から、①森喜朗の問題発言「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と②小池百合子都知事と大坂なおみ選手の反応(呆れかえった反対意見)を照らし合わせ、「日本社会が時代錯誤な性質から抜け出せない実態が再び明るみに出た」、と言っています。

この文章が示すのは、過去にも少なくとも一度は同じような問題発言があって、表に出るのは氷山の一角に過ぎず、一般人の日常生活においても似たようなことが繰り返されている、ということです。

私は記憶力が本当にお粗末なので、これまでの日本の政治家による女性蔑視発言を一つ一つ思い出すことはできませんが、そんな私でも忘れられないのが、「産む機械」発言です。顔は覚えているけど名前が思い出せない当時の大臣が、少子化について答弁したときに滑らせた言葉、と記憶しています。もう一つ、ココログで記事にしたことで思い出したのが、東京都議会の「セクハラ野次」。これは2014年に自民党議員が女性議員に対して「早く結婚したほうがいい」と大声で野次を飛ばしたもので、この時も実態が世界中に拡散されました。

ぶっちゃけ、「セクハラ発言」などは日本以外でもあることで、フランスでも数年前に国会で女性議員を「雌鶏(めんどり)」呼ばわりした男性議員がいました。私がフランスで日常を過ごしていても、「あっこの人女性蔑視的だな」と思う男性に遭遇することは少なくありません。

ただし、記事でも指摘している通り、毎年開催される世界経済フォーラムによれば、2020年の男女平等ランキングにおいて日本は149か国中121位(!)だったそうで、男女不平等の実態は外から見れば明らかに深刻です。

そして、内からその実態が疑問視されないことは、女性蔑視社会そのものと同じくらい、というか、それよりももっと深刻だと多くの日本人が気づいていないことが更に深刻なのです!

記事では、日本で2児を育てる31歳のフランス人女性と、13歳までを東京で過ごし現在はフランスに住む46歳の日本人男性の証言が紹介され、それぞれが日本社会について、前者は「子育てに男女不平等が根付いている」とし、後者は「不平等が過ぎすぎて、問題視されている様子がない。」と指摘しています。

なぜ問題視されないかと言えば、それは、日本で生活する女性たちの多くは、問題視する機会を失っているのではなく、そもそもが気づいていない、つまりは「男性、女性それぞれに役割があるもの」と認識して、現状をよしとしている場合がほとんどだから。

そんな日本社会では、#metoo運動は広まらず、東大に在籍する女子生徒の割合は10%台を低迷し、マタハラ(マタニティーハラスメント)がまかり通り、第一子を出産した半数の女性が職場復帰できないまま、ジェンダー格差は広がる一方なわけです。

記事では更に、東大の医学部が女子の割合が30%を超えないように採点していたとか、お茶を入れるのは女性だけだと思い込んでいる上司が未だにいる(!?)とか、マタハラが原因で流産するケースが少なくないなどの、時代錯誤な例が証言を交えて挙げられます。

もうここまでくると、「日本社会は森喜朗がスタンダード」だと思われても仕方がない領域です。

一方で、声を上げる女性がいないわけではありません。
森喜朗に対する署名が24時間で1万人も集まったのだから希望はあります。

そしてそんな女性たちを救おうと、まるで救世主のように現れたのが、かの安倍暴走総理でした(爆)

しかし、「女性が輝く社会」という標語を掲げて頑張りました(頑張っているように見せかけました)が、記事では、「人手不足や高齢化社会の問題を改善するために掲げた目くらまし」と斬られています。

そもそもが、女性のためだけに何かをすることは、積極的差別主義にほかなりません。

彼女たちが求めるのは、男女に関係なく国民、市民が平等に扱われること。

記事中に何度も出てくる、東アジア文明研究センター(CRCAO)のChristine Lévyは言います。
「企業と政府は、私たちが(古代ではない)現代社会に生きていて、働きたい女性は家庭と仕事を両立させられる土台がないうちは、彼女たちが子供を産もうという気にはならない、ということをなかなか理解しようとしない。」

この発言に共感する企業のトップや政治家は、今日本にどのくらいいるでしょうか?