続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

日仏7人の専門家が報告する10年目のFUKUSHIMA(フランス生まれの原発ロビー)

日仏7人の専門家が報告する10年目のFUKUSHIMA (1Fの現状&甲状腺がん発症数等の経過報告)のつづき—

 

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3人目のパネリストは、コリン・小林氏。2015年に拙記事で紹介したラジオ番組にも登場した、フランスにおける原発に関する情報提供の場ではお馴染みのフリージャーナリストです。

小林氏のテーマは、「原発ロビー」について。

実態は知る人ぞ知る「原発ロビー」もしくは「原子力ムラ(村)」という言葉は、言い換えれば、「原発を推進できるなら、何でもする人たち」です。

事故が起きようが、負傷者がでようが、死者がでようが、環境が破壊されようが、とにかく、原発のためなら何でもやる。事故を過小評価し、甲状腺がんの患者数や、その他諸々の関連死者数を少なく見積もり、環境破壊はないことにする。

すべては、放射能が目に見えないことを利用した、非人道的で、自分勝手で、利権だけを追求する人たちの残酷なプログラムなのです。

そんなプログラムをいつどこで誰が始め、どのようにして世界に広がり、どんなことをやらかし、どうつながっているのか、小林氏の発表を以下にまとめました ↓


  • すべての始まりは、1976年、フランスでCEPN(放射線防護とその評価に関する研究センター)という機関が設立されたこと。
  • CEPNはヨーロッパから毎年2億円の資金提供を受け、EDF(フランスの電力会社)、AREVA(フランスの原子力産業会社)、そしてIRSN(※1)(放射線防護・原子力安全研究所)と手を取り合う。(※1 IRSNは本来、独立機関として原子力施設を監査するべき団体)
  • 1977年、Jacques Lochardというフランス人が、CEPNの代表の座に就く。
  • Lochardは、研究者でも専門家でも医師でもなかったが、ETHOS(原発ロビーのプログラム)に大きく貢献しているとして、その後2013年には、ICRP(国際放射線防護委員会)の副代表に抜擢された上、2016年までCEPNの代表職も全うする。その間、Lochardは、1996年から2004年までチェルノブイリを、2011年11月には日本を訪れる。日本では、政府関係者や原子力研究員などの前でETHOSのプログラム、特に低線量被爆に関連するプログラムを披露した。
  • Lochardはまた、日本では、科学者とか、経済学者、ICRPの副代表という肩書で通り、CEPNとの関わりを表沙汰にすることはなかった。
  • チェルノブイリ(ベラルーシ)でETHOSプログラムが始まったのは、事故から10年が経過した1996年のこと。
  • チェルノブイリにおける調査団は、農学者、情報処理の専門家、システムの安全理論の専門家、社会学者、そして精神分析医の5名で構成され、医療関係者は、精神分析医のみ。このことから、住民の健康を気づかう姿勢は皆無であることが見て取れる。当時、現地ではネステレンコという物理学者が、原発の周辺約300か所に放射線測定所を設置したり、セシウムを体外に排出するのに効果的とされる「ペクチン」の対処療法を住民に施して尽力していたが、調査団は即座にすべての測定所を閉鎖し、周辺住民の子供の80%がすでに何らかの病気を抱えていたにも関わらず、ペクチン療法も停止。ベラルーシ政府と手を組んでネステレンコを追放した。調査団の興味は、とにかく何が何でも住民を留まらせることに集中していた。
  • 福島におけるETHOSのプログラムは、事故から数か月後の2011年10月から今現在まで続いており、ICRPが主催するセミナーは、10年間で20回に及んだ。すべてのセミナーは、毎回、Jacques Lochardを中心に進められ、日本人の専門家や医師を始め、フランスのCEPNIRSNのメンバーも参加している。現地の“NPO法人”名は、当初、そのまま「エートス in Fukushima」と名付けられていたが、2019年に「福島ダイアログ」と改名した。
  • 福島では、特にIRSN(フランス放射線防護・原子力安全研究所)の介入が顕著で、2015年、IRSNは、KOTOBA, Dialogues in Fukushimaというサイトを、日本語、英語、フランス語の3か国語で立ち上げ、ETHOSプログラムの更なる拡散を狙う。また、IRSNは、2016年4月に発行された月刊誌に、≪ウクライナ(チェルノブイリ)では、福島では放出されなかった、ストロンチウムやプルトニウムなどの強毒な放射性物質が拡散された。≫と書いたり、メンバーの一人が、≪年間100mSv(※2)の被爆ががんを発症するリスクを上げる証拠はない。≫と宣うなど、虚言が目立っている。(※2 世界的に通用している年間放射線被ばく量の上限は1mSvであり、それが大幅に引き上げられた福島県でも20mSv。)
  • Jacques Lochardは、事故後の福島を訪れる中で、「放射線防護を研究する上で、福島ほど最適な場所はない」と述べた。つまりは、広島と長崎、そしてチェルノブイリと同じく、福島も“実験台”になっていると言える。
  • そんな“実験”に大きく貢献したのが、早野龍五(東大名誉教授)と宮崎真(福島県立医科大学医師)の二人。福島県伊達市に、内部被ばく線量のデータ解析を行ったうえで論文を書いてほしいと依頼された二人は、2016年と2017年の2度に渡って連名で論文を発表し、イギリスの学術誌に掲載された。その内容は、「政府が設置した空間線量計で換算した実行線量の推計は、個人線量計の数値の4倍もある。」「毎年20mSv被ばくしている人でも、70年間の総被ばく量は18mSvにしかならない(←意味不明)」、「除染は意味がない」など、ほとんどが低線量被爆を過小評価するものだった。


・・・ここで、次の参加者、黒川眞一氏にバトンタッチ。「宮崎・早野論文」について更に詳しく解説されます。

                                
                          つづく