続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

福島だけでなく、宮城、栃木も含めて、200万人は避難すべきだった(実際は推定20万人)byみんなのデータサイト

日仏7人の専門家が報告する10年目のFUKUSHIMA(フランス生まれの原発ロビー) - 続・真(ま)フランスの日常

「皆さんは、避難したくてもできない人の声を聞いたことはありますか?」 - 続・真(ま)フランスの日常

今回は、CRIIRADが3月6日に開催したウェビナーの5人目の参加者、大沼淳一氏の発表についてです。(黒川眞一氏が置いてきぼりのままですが、その理由は後日明記します。)

前回の森松氏同様、日本語で話されているので、動画を貼るだけでも良かったのですが、その後の質疑応答でも重要な情報がいくつかあったので、また文字起こしをして、グラフや地図、そして補足情報を付け足しました。

「放射能汚染の現状と、残酷な公衆の被ばく限度年間20ミリシーベルト」というテーマで語られる約18分間の中に無駄な情報は1秒たりともありません。

そして、原発事故後の現状を詳しく知れば知るほど、大沼氏も何度も繰り返している通り、日本政府が日本市民に対して残酷な対応をとっていることを再認識させられます。

個人的に絶望したのは、12分過ぎ辺りで表示されたグラフに、直近で記事にした1960年代の核実験(米国、中国のそれも含む)、そしてチェルノブイリの事故の影響による空間放射線量上昇が、福島でも観測されていることです。

このことから、福島の事故の影響が地球の裏側のフランスでもあったであろうことは明白です。

私がこうしてフランスで福島の原発事故についてブログを書いたりすると、「関係ないのに、なんで?」と言われたりするのですが、核爆弾が投下されたり、原発で事故があれば、地球上のすべての生物が多かれ少なかれ影響を受けます。

原子力に限ったことではないですが、特に原子力に関してはすべてが繋がっている、そのことを理解した人が、今後もひたすら訴えていかなければならないと改めて思わされました。

 


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みなさんこんにちは。

全国34か所の、市民放射能測定所が参加するネットワークである、「みんなのデータサイト」の運営委員をしています、大沼淳一です。

本日は、「放射能汚染の現状と、残酷な公衆の被ばく限度年間20ミリシーベルト」というタイトルでお話したいと思います。

みんなのデータサイトに参加している34の市民放射能測定所は、ご覧のように、北海道から九州まで広く分布をしております。

事故直後は100か所を超える市民測定所が開設されたと言われていますけれども、この10年間で随分減りました。

「みんなのデータサイト」は約4000人の市民の協力を得て、東日本17都県3400地点で実施した土壌放射能汚染調査結果が、このような汚染アトラスとなって、刊行されました。

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200ページの大作です。(補足→参加者の多くは、子供を持つ母親だったため、子供の安全を重視して、自宅の庭先、公園、学校の校庭や通学路などを中心に測定された。)

アメリカの市民団体の協力を得て、英語ダイジェスト版も刊行されました。

現在フランス語版が作成されつつあります。

これから、このアトラスの内容をかいつまんでご説明したいと思います。

放射能は減衰方程式に従って減衰していきます。だから計算できるんですね。

この方程式に従って100年後までの土壌中放射能濃度を予測してみました。

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幸か不幸か、土壌に沈着した放射性セシウムは、気象かく乱による拡散が少なく、土壌表層に長く留まっていることがわかっていますので、この予測には十分な確度があります。

事故直後の2011年については、セシウム134とセシウム137の合計値でプロットがされています。

深刻な汚染域は、福島県だけではなくて、近隣の栃木県、宮城県、茨木県、岩手県、千葉県、群馬県などに広がっています。

半減期が2年のセシウム134はほぼ消えてしまった2021年、すなわち現時点ですけれども、ここからは半減期30年のセシウム137だけでプロットしています。

セシウム134とセシウム137の合計値は42%まで減衰しましたが、まだまだ高濃度汚染域が広がっています。

2031年と2041年は、あまり変わり映えしないように見えます。これは、セシウム137の半減期が30年のために、10年経っても、たった80%にしか減らないからです。

100年後の2111年でも、まだ人が住むべきではない汚染域が残っていることがわかります。

福島県を縦に貫く二つの山脈があります。

これが奥羽山脈です。それから阿武隈山脈です。

この二つの山脈に隔てられて、3つの地域に分かれています。

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すなわち、福島第一原発のある浜通り、それから県庁所在地福島市がある中通り、そして会津地方。このうち、福島第一原発の事故で排出された放射性プルームは、この浜通りと中通りと、そして阿武隈山地を酷く汚染しました。

福島県の人口は、事故前、203万人と言われています。そのうちで、この浜通りと中通りに住んでいる人たちの人口は、おそらく150万人です。

この150万人の人々が、当然、事故直後に避難するべきであったわけですけれども、実際には、避難した人は、ほぼ20万人だったという風にいわれています。

なぜかというと、日本政府が、避難指示区域と居住可能地域の境界を年間20m㏜という残酷な基準で設定したからです。(補足→政府は、何万人なら避難させられるかを計算して、年間被ばく量20m㏜を逆算して出したと推測できる。)

この基準は、100万人に1000人(※)の発がんリスクを伴う残酷な基準です。(※通常は100万人に50人)
 

日本政府が設定した公衆の被ばく限度、年間20mSvを上回る地域は、避難指示解除準備地域と、居住制限地域、すなわち緑色とブルーのエリア、及び、ピンク色で示した帰還困難区域に細分化されています。
 
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2017年3月31日、緑色と青色の部分は、20mSvを下回ったということで、同時に解除されてしまいました。

現在残っているのは、このピンク色で示した期間困難区域だけです。

実際に、解除されたエリアで戻った方たちは、もとの人口の10%以下である、という地域がいくつもあります。

福島県の北隣の宮城県の南部は、福島県の汚染のひどいところと同じぐらいの汚染をしています。

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しかし、日本政府は、除染のための予算をつけず、除染廃棄物の保管場所の準備もしませんでした。

福島県の南西方向の隣県である栃木県北部も深刻な汚染をしています。

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しかし、宮城県と同様に日本政府は除染予算や除染廃棄物の保管場所の措置をしませんでした。

高濃度の放射性プルームが通過したにも関わらず、子供たちに対する甲状腺の検査も行っていません。

千葉県北西部にも、深刻な汚染があります。

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この地域の8つの市と町は、自力で除染を行って、除染廃棄物は、東北地方の秋田県の産業廃棄物処分場に送って処分をしています。

東京都は深刻な汚染は免れていますけれども、千葉県北西部に隣接した東側のエリアには、高濃度汚染がみられます。

野生のキノコ類、山菜、野生動物の肉、いわゆる鹿やイノシシなどでは、今なお食品基準100ベクレル/Kgを超えるものが沢山でています。

土壌汚染が比較的軽微であった、例えば500ベクレル/Kg程度でも、基準値超過が沢山出ています。

これに対して、日本政府及び地方自治体の測定検査は極めて少なく、したがって出荷規制や摂取制限の規制措置は穴だらけなんです。

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この写真のキノコ類は、インターネットマーケットで売買されているものです。みんなのデータサイトが買い取り調査をして発見した基準値超過の汚染食品です。
 

このグラフは福島県で観測されている、月間放射性降下物の推移を示したグラフです。
 

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縦軸は、1㎡辺り、一か月間で何ベクレル降下物が降ってくるか、というメモリです。

1960年代前半に、大気圏内核実験による、大きなピークがありました。それが次第に減少してきて、1986年に、チェルノブイリの原発事故によって鋭いピークがみられますけれども、その後、順調に減少してきました。

そして、福島原発事故の直前には、0,1ベクレル/㎡/月の水準まで下がっていました。

それが、事故によって一気に跳ね上がって、数百万ベクレル/㎡/月に達しました。

その後ゆっくりと減少していますけれども、まだまだ高止まりをしています。

原発サイトに近い、大隈観測点では、事故前の1万倍のレベルで、まだ留まっています。(補足→今も壊れた炉心から放射性物質が直接飛来しているため。)

福島市の観測点では、事故前の100倍のレベルで、やっぱりまだ留まっています。
(補足→まだホットスポットが残っていたり、森林は除染対象外のため、それらの場所から放射性物質が風などで飛ばされ、降り注ぐということが続いているため。)
 

ホットスポットファインダーという、優れた機械があります。

空間線量率計を地上1メートルで装着して、汚染地域を歩いたり、車に積載して走行すると、GPSと連動して、グーグルアース地図上に10秒ごとに記録される装置です。

高濃度汚染域を貫通する、常磐道、高速道路E6、それから福島県道36号線は、歩行者やバイクの通行は禁止されていますけれども、自動車は自由に走行できます。

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事故を起こした福島第一原発は、この位置にあります。

昨年6月にこの二つの道路を走行したときの最高値は、空間線量5,31mSv/時間、でした。

車は頻繁に走行しています。

この高濃度汚染域で交通事故が発生すれば、大変な被ばくをすることになります。

実際に、何度か、事故がこのエリアで発生しているようです。

今お話しした、県道36号線で、最も空間線量率が高かった核心部を拡大して示しています。緩やかな丘陵地域で、農地と樹林が混じった穏やかな農村地域です。

期間困難区域ですから、もちろん人は住んでいません。

帰還させられた人々や、汚染地域にそのまま留まった人々は、日常的にこのようなエリアを通行しているのです

福島県から愛知県に避難している方たちが、避難者損害賠償訴訟で、国と東電を訴えて戦っています。

他にも日本中で、約30か所で、避難者損害賠償訴訟が戦われています。

その原告のみなさんの避難元の汚染調査を行って、裁判の証拠として提出しています。

ここでは、その一部をお目にかけます。

ホットスポットファインダーを用いて測定した、福島市の隣に位置する、伊達市保原の昇陽中学校、その周辺の空間線量率マップです。

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原告の娘さんが通学する予定だった中学校の周辺です。

2019年11月の時点で、最大値は0,43mSv/時間、でした。

この道路というのは、ここの中学生たちの通学路です。

正門の前で採取した土壌は、事故直後にさかのぼると、1万7000ベクレル/Kg、面積辺りに直すと82万ベクレル/㎡です。

2018年3月までは、指定廃棄物の基準、8000ベクレル/Kgを超えていて、10年後の現在でも、放射線産業従事者の放射線管理区域の基準、4万ベクレル/㎡を軽く超えています。

チェルノブイリ法のゾーニングと比較しても、2013年までは、居住禁止ゾーンに、現時点でも、移住の禁止ゾーンに相当します。

この地域は一度も避難区域に指定されませんでした。

この地域からの避難者は、自主避難者として、政府の支援がほとんど与えられませんでした。

南相馬市小高区の住宅です。

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福島第一原発から、ちょうど20kmの地点です。

避難指示解除準備区域に指定されましたけれども、わずかに一年で解除されて、一般の住民は帰還せざるを得ませんでした。

空間線量率は、2019年11月時点で、0,12から0,87mSv/時間、でした。

玄関の前の花壇の土壌は、事故直後には、1万7800ベクレル/kg、面積辺りに直すと、102万ベクレル/㎡でした。

2019年3月までは、指定廃棄物基準8000ベクレル/Kgを超えており、10年後の現在でも、放射線作業従事者の放射線管理区域の基準、すなわち4万ベクレル/㎡を軽く超えています。

チェルノブイリ法のゾーニングと比較しても、2016年までは、居住禁止ゾーン、現時点でも、移住の禁止ゾーンに相当します。

野手上(のてがみ)山の山頂で、採取をした表層土壌の放射能濃度の減衰予想曲線です。

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事故直後には、7万ベクレル/kgを超えており、面積あたりにすると、250万ベクレル/㎡を超えています。

この矢印のところが10年後、つまりは現在です。

で、100年後になっても、放射線管理区域の基準、4万ベクレル/㎡を超えています。

こんな場所の登山が許されているのです。


山頂及び頂上から、標高で50メートル下がったところの放射能の鉛直分布を調べてみました。

10年後の現在でも、放射性セシウムの大部分は、表層0,5センチ層に留まっていることがわかります。

汚染物質に暴露した後、小時間たたないと発症しない慢性疾患では、多くの犠牲者が補償や賠償を得ることができません。

この新聞記事は2013年のものですけれでも、水俣病公式発見1956年から数えて、57年後にようやく最高裁判所が原告を水俣病と認定して補償するべきであるという裁定をしたと伝えています。

この判決の後も、政府環境省は、この原告の方たち以外の犠牲者を認定しようとしていません。

水俣病の症状を呈する患者8万人、認定申請した患者6万5000人のうち、認定された患者さんは3000人に満たないのです。


福島原発事故による、低線量被爆の犠牲者の健康被害についても、同様の不条理な事態が続くことが予想されます。

犠牲者に寄り添った、息の長い闘いが必要です。

75年前に広島に投下された原爆による被爆者の原爆症認定訴訟がまだ続いています。

昨年、2020年7月、最高裁判所は84人の原告を原爆症と認定すべきであるという裁定をしました。


日本政府が認定した「黒い雨」すなわち放射能雨が降った地域の推定が間違っていて、実際には、ずっと広い範囲で放射能雨が降っていたということを裁判所が認めたのでした。

この75年後に出された判決が物語るものは、今回の福島原発事故で放射線被ばくした人たちの戦いが、今後困難を極めるであろうことを予想させます。