イギリスで、あわや第2のサミュエル・パティ!? ~なぜ教師たちは風刺画を見せるのか~
2020年10月16日、パリ郊外の中学校の近くで、Samuel Patyという地理歴史教師が、見ず知らずのイスラム過激主義者に斬首されるという、前代未聞の事件が起きた。原因は、Samuel Patyが、表現の自由をテーマにした授業の一環で風刺新聞シャルリー・エブドの風刺画を生徒たちに見せたこと。その授業をイスラム教徒の生徒が保護者に報告し、保護者がSNSで授業内容を広めたことで、見ず知らずのイスラム教徒にまでSamuel Patyに対する憎悪を煽ったとされる。)
3月下旬、今度は、イギリス北部のBatley Grammar Schoolという学校で、シャルリー・エブドの風刺画を生徒たちに見せた教師が校長に見離され、警察庇護の元、潜伏生活を余儀なくされるという事件が起きました。
フランスではあまり積極的に報道されていなかったのですが、シャルリー・エブドが4月7日号にルポルタージュを掲載したので、(今頃になってしまいましたが)詳しい経緯を紹介したいと思います。
事の発端は、宗教専門の教師が、「表現の自由、そして宗教冒涜」をテーマにした授業中にシャルリー・エブドのムハンマドの風刺画を、生徒たちに見せたこと。その目的は、風刺画を教材に、生徒たちが意見を出し合い議論することでした。
その直後から、授業内容(というより、「風刺画を見せたという事実」)と教師の名前がSNSで拡散され、その日の夕方には保護者を含む数十人のイスラム教徒が学校に押しかけ、教師降ろしのデモに発展するという事態に陥りました。(この辺りまではサミュエル・パティ斬首事件に極似)
それを受けて、校長は内部調査を行い、「不適切な画が授業の教材として使用された」として保護者に謝罪。教師を完全に見離しました。
学校に居場所をなくした教師は、家族と共に引っ越し、潜伏生活開始。
一方、イギリスの教育大臣・Gavin Williamsonは、保護者の行動は「断じて受け入れられない」と非難しました。
そして、「学校において、例えそれが難解であったり物議を醸したものであろうと、政治的なバランスが保証される限り、あらゆる疑問・思想・教材を授業に取り入れることは自由である。」と表明しました。
"Les écoles sont libres d'inclure un éventail complet de questions, d'idées et de matériels pédagogiques dans leur programme, y compris lorsqu'ils sont difficiles ou controversés sous réserve de leurs obligations d'assurer un équilibre politique"
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私自身、イギリスで、フランスの風刺画を理解している教師がいたことに驚かされましたが、サミュエル・パティ斬首事件が起きたときに明らかになった通り、フランスの学校では、シャルリー・エブドの風刺画を授業で使用するケースは稀ではありません。
シャルリ―・エブドを定期購読している教師も少なくないようで、読者の投稿欄で教師を名乗る読者からの激励のメールや手紙が紹介されているのを何度か目にしたことがあります。
なぜ彼らは、敢えてシャルリー・エブドのムハンマドの風刺画を生徒たちに見せるのか?
https://dai.ly/x7wx1cs
それは、上のリンク先の動画で教師たちが口をそろえる通り、フランスやイギリスでは表現の自由が保障されていることを生徒たちに教えるためです。
とはいえ、フランスには、「宗教を冒涜する権利」を明確に保障している法律はありません。
と同時に、宗教を冒涜することを罪に問う法律もありません。
一方で、表現の自由を保障する法律は、1789年、フランス革命当時に出された人権宣言の10条と11条*1に始まり、1881年に定められた「報道の自由を保障する法律」、そして、1905年12月9日に宣言された国家と教会の分離を決定的にした政教分離法、というように数世紀をかけて確固たるものになり、今も受け継がれています。
片やヨーロッパでは、今もドイツを始めとする7か国が「宗教を冒涜することを罪に問う法律」を有し、メディアや個人が宗教を批判すれば罪に問われる可能性があります。
国ではありませんが、欧州人権裁判所は、2018年10月25日、オーストリアの極右政党の集会で、ムハンマドを小児性愛者呼ばわりしたオーストリア人女性に、有罪判決を下しました。
https://www.institutmontaigne.org/blog/le-blaspheme-en-france-et-en-europe-droit-ou-delit
また、アイルランドやイギリスでは、「宗教を冒涜することを罪に問う法律」が2008年に、デンマークでは2017年に廃止になったばかりで、イギリスでは今も多くの宗教関係者が反対の意思を表明しています。
https://www.franceculture.fr/histoire/1881-quand-la-iiie-republique-instaure-un-droit-au-blaspheme
以下の地図を見てもわかるように、世界を見渡せば、宗教を冒涜することを許さない国のほうが圧倒的に多く、中には死刑になる国もあります。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Blasph%C3%A8me#/media/Fichier:Blasphemy_laws_worldwide.svg
(宗教冒涜に関する法律の有無 灰色なし 黄緑廃止 黄色一部地域に有り オレンジ罰金や制限あり 赤禁固刑 赤紫死刑)訂正→ポルトガルは黄緑
宗教冒涜を含めた表現の自由は、決して当たり前にあるものではなく、培われ受け継がれ、模倣される一方で、いつ廃れてもおかしくないもの。
そう解釈する教師(特に地理歴史科の教師)が、そんな表現の自由に一種の特異性を認めると同時に、なくなってしまうかもしれないことに対する危機感を持って、シャルリー・エブドを見せる、のだと私は思います。
と言っても、シャルリー・エブドがその「自由」を乱用しているとみる人が後を絶たないのも事実です。
イスラム教では偶像崇拝が禁止されているから、イスラム教徒はムハンマドを描いてほしくない。だからイスラム教徒のことを思えば、ムハンマドは描くべきじゃない。「表現の自由にも限度がある」、極右を除いては、多くの人々がそう思うのが当たり前になってしまいました。
当のシャルリー・エブドでさえ、テロ直後の号を除いては、この6年間ムハンマドを描いていません。(過去の風刺画を再掲載したことはあります。)
でも、ムハンマドが作ったとされるイスラム教という宗教は、今も政治に匹敵する大きな権力の一つのままです。
そしてその権力は、フランスを始めとする「宗教を冒涜することを罪に問う法律」を持たない国においては、批判されるべき時に批判されるのが、民主主義の在り方です。
そうしなければ、メディアなりグループなり個人なりは、いわゆる自粛をしていることになり、民主主義が機能しているとは言えなくなります。
風刺においては、イスラム教の創設者がムハンマドなのだから、ムハンマドは風刺されて然るべき人物です。偶像崇拝がイスラム教で禁止されていても、政教分離を掲げる民主主義の社会では、表現の判断基準にはなりません。あらゆる宗教や文化で禁止されていたり良くないとされていることを、同じように自粛していては、本当に何も言えなくなってしまいます。
(なぜシャルリー・エブドがイスラム教を批判するかはコチラの記事で)
シャルリ―・エブドのルポルタージュによると、イギリスのイスラム教徒で作家のKenan Malik氏は、今回の事件について以下のように警鐘を鳴らしています。
"Accepter que certaines choeses ne puissent être dites revient à accepter que certaines formes de pouvoir ne puissent être remises en question." Kenan Malik「ある事柄に関して発言できないことを受け入れることは、一定の権力の存在を疑問視できないことを受け入れることに値する。」
また、イギリスのNational Secular Societyという、イギリスの学校における宗教がもたらす影響を監査している機関は、次のような声明を出しました。
"Nous ne pouvons pas baser ce que nous enseignons dans les écoles sur ce que les gens trouvent subjectivement offensant. Si nous le faisons, nous nous retrouverons à devoir traiter un certain nombre de sujets avec des gants." National Secular Society
「人々が主観的に見て侮辱していると感じることを、学校の授業の基準にはできない。そうしてしまったら、一定数のテーマを腫れ物に触るように扱わなければならなくなる。」
2019年、イスラム教徒に対する“気遣い”を欠かさない筆頭メディアの一つ、ニューヨークタイムスは、一つの風刺画が批判されたのをきっかけに、風刺画掲載そのものを中止するという、残念な措置を取りました。
https://www.newsweekjapan.jp/satire_usa/2019/07/nyt.php
ニューヨークタイムスに限らず、メディアというのは、かなしいかな、それぞれタブー視していることや自粛しているテーマを持っているものですが、それを一切持たないのが、シャルリー・エブド、いや、「テロ前までのシャルリ―・エブド」なのです。
イスラム教という宗教権力を批判する“権利”を少なくともフランスやイギリスでは誰もが有しているという事実を象徴しているのは、幸か不幸か、過去に描かれたムハンマドの風刺画だけ。
あらゆる宗教を、脇目も振らず冒涜する唯一無二のメディアを、「表現の自由の象徴」となぞらえる教師が少なくないのは、きっとそのためです。
イギリスで起きた事件のルポルタージュ ↓ (2021年4月7日付シャルリー・エブド)・・・一念発起して写真のピクセル数を上げました 笑
(上の風刺画「(イギリス文化)に同化するために最大限に努力してます。」
下の風刺画「以前は王政、今はシャリーア(イスラーム法=コーランと預言者ムハンマドの言行を法言とする法律)」
*1:Art. 10. Nul ne doit être inquiété pour ses opinions, même religieuses, pourvu que leur manifestation ne trouble pas l'ordre public établi par la Loi. Art. 11. La libre communication des pensées et des opinions est un des droits les plus précieux de l'Homme : tout Citoyen peut donc parler, écrire, imprimer librement, sauf à répondre de l'abus de cette liberté dans les cas déterminés par la Loi.
11条 思想及び主義主張の自由な伝達は、人間の最も貴重な権利の一つである。よって、すべての民は、法律で定められる範囲内で、その自由を乱用しない限り、自由に話し、書き、刊行することができる。