続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

色んな味を知っていると地獄を見ることがある

つわりが酷かった間、体調のほかにもう一つ辛かったことがあります。

 

 

それは、「食べ物に対する執着」。

 

 

このサイト ↓ では、妊娠中に食の好みが変わることを「食嗜変化」(「食嗜好変化」の略?)と言っていて、それもつわりの症状に含まれると書かれていますが・・・

 

 

http://www.jsog.or.jp/PDF/50/5006-143.pdf

 

 

これもつわり同様、症状は妊婦によりけり。

 

 

私自身、息子を妊娠していた時はトマトソースパスタとリンゴジュースしか口にできない日が1週間くらい続きました。

 

 

ネットで他の妊婦さんの「食嗜変化」を見てみても、例えば2週間近く「ぶどう」しか食べられなかったとか、「マクドのフライドポテト」ばかり食べていたとか、一つの食品、またはメニューに何かにとりつかれたように食べる場合が多いようですが、必ずしも「酸っぱいもの」や「イチゴ(フランス人の先入観)」が欲しくなるとは限らないわけです。

 

 

今回、私の食嗜好はどう変化したかというと・・・

 

 

執着した食品やメニューは数知れず、ほぼ毎日、別のメニューが頭に浮かんで、何が何でも食べようとする日が続きました。

 

 

普段の食事は「安心・安全」の条件をクリアしていれば実は何でもよかったりするほど、「これが食べたい!」と思うことは稀なだけに、この変化は私にとって、タイトルにもあるように“地獄”そのものでした。

 

 

しかも体調がよくなってきた今でも、この「食嗜変化」は続いていて、もうすぐ6か月になろうとしている今でも、「白いご飯」やいくつかの野菜類に嫌悪感を抱いたまま、食べる楽しみを取り戻せずにいます。

 

 

 

今回の「食嗜変化」で食べたくなったものの例を挙げてみると・・・

 

 

つわりが始まってまもなく執着し始めたのは、日本で食べていたもの

 

 

つわりがなくてもフランスの田舎にいては、材料が入手できず作るのが難しいことがほとんどの日本食ですが、そんなときに限って食べたくなったものの一つが・・・

 

 

ざるそば(汗) 

 

 

これは近所のオーガニック食品店で売っている、250g4ユーロもする「そば」を旦那さんに買ってきてもらい、「これでは満足できなさそう」とぼやきながら、“もどき”を作ってみました。

 

 

これがフランスの田舎でも手に入る「そば」 ↓

 

 色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

 色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

 

ちゃんとオーガニックで、しかもフランス製・・・つまりはフランス人が打った(?)という意味なので、かなり不安。

 

 

そして“そば”はなぜか“平打ち”・・・

 

 

なんだかおいしくなさそう・・・

 

 

と、ぶつくさ言いながらできたのがコレ ↓

 

 

 

 色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

(左端の麦茶のようなものは、これも砂糖としょうゆと期限切れのだしの素(※)でかなり適当に作った“めんつゆ”です) ※なぜ期限が切れたかというと、アミノ酸等(いわゆる「味の素」)は入っていないものの、「酵母エキス」という“味の素もどき”のようなものが原材料にあって、ネットで調べれば調べるほど“怪しい調味料”に思えて、放置したままだったからです。

 

 

 

お味はどうだったかというと・・・

 

 

意外とおいしくて完食したのち、翌日も3食続けて私だけ「ざるそば」でした。

 

 

ちなみに、見た目は全然“ざるそば”じゃないですが、原材料はほぼ100%オーガニック・・・ということに一人で満足していました。

 

 

 

 

 

その後に無償に食べたくなったのは・・・

 

 

☆餃子☆

 

 

しかもそのとき頭に浮かんだのは・・・

 

 

 

『蓬莱』の餃子!

 

 

はい、『王将』じゃなくて『蓬莱』です。

 

 

関西圏以外での知名度が今どのくらいあるかわからないので簡単に紹介すると、「蓬莱(ほうらい)」は関西圏に展開している肉まんが名物の中華点心料理のチェーン店です。

 

 

渡仏する直前の3年間、大阪で一人暮らしをしていたときに、夕食を餃子で済ませることが何度もありました。

 

 

あれから17年、まさか地球の裏側で「また食べたい!」と思う日が来るとは夢にも思いませんでした。

 

 

・・・・とここまで書いて、もしかしたらあの時食べていた餃子は「王将」だったかもしれない、とも思えてきました(汗)

 

 

どちらにせよ、日本の餃子を冷蔵便で24時間以内に個人宅に届けてもらえるような身分ではないので、現実策として自分で作る以外の選択肢はありません。

 

 

しかも大都市ならフランスでも中華食材店などで「皮」が手に入りますが、ここは田舎なので、皮から作り、豚肉も自分で挽かなければなりません。(フランスで挽き肉と言えば牛肉。豚肉をトマトに詰めて使うソーセージの中身ような調理済みの挽き肉は売っていますが、それをタネにしても餃子にはならない。)

 

 

フランスで一人暮らししていたときや、オーストリアで旦那さんと二人暮らしだったころは、時間のあるときにせっせと皮から作っていました。

 

 

でもここ最近は、そもそもが“餃子が食べたい”と思うことがなく、年に一回作る程度でした。

 

 

その餃子がどうしても食べたいわけです。

 

 

しかも頭の中では“蓬莱(または王将)の餃子”がどっしりと腰を据えて動こうとしないのです!

 

 

もうこれは、力を振り絞って作るしかない!

 

 

というわけで、食べたいと思ったその日の夕方、旦那さんに豚肉のかたまりを買ってきてもらい、すでに始まっているつわりに耐えながら皮作りを始めました。

 

 

ところが、ここで大問題が発生しました。

 

 

豚肉のかたまり肉だと思っていたものを開封してみると、なんと、そこにあったのは・・・

 

 

「焼き豚」だったのです!

 

 

「焼き豚」はフランス語では「Rôti de porc」と呼ばれていて、かたまり肉は「Porc à rôtir」・・・

 

 

料理ができない旦那に買い物を頼むとこういう間違いが頻繁に起こります(涙)

 

 

一体、焼き豚500gも、どうしろというのでしょう!

 

 

目の前の焼き豚の山を見ても、私の頭の中は「餃子」でいっぱいのまま。

 

 

「焼き豚」を「チャーシュー」と言いかえれば中華料理らしく聞こえますが、「しょうがないね、今晩は焼き豚でいっか。」などと妥協できるような精神状態にはありません。

 

 

まだスーパーは開いている時間だったので、辛い身体を押して、再び旦那さんに車を出してもらい、自分で買うことにしました。そのときは、旦那さんを全く信用できなくなっていたのです。(あぁ恐ろしい)

 

 

そんなこんなでやっとこさ「豚のかたまり肉」を手に入れたときには、すでに夜8時をまわっていました。

 

 

1時間後に就寝する息子を待たせるわけにはいかないので、息子に「焼き豚」を食べさせている間に餃子作り再開。(焼き豚が一応役に立った 爆)

 

 

皮は出来上がっていたので、実家から譲ってもらった年代物の手動ミンサーで豚肉を挽いて他の材料を適当にいれて、さぁ包もう!・・・と思ったら、

 

 

更なる問題発生!

 

 

皮を薄力粉だけで作ったからなのか、水分が多すぎたのか、つくってから時間が経ちすぎたのか、片栗粉が足りなかったのか・・・せっかく成形して重ねておいた皮40枚近くがほぼすべてくっついて、固まってしまっていたのです!

 

 

もう半泣きになりながら、とりあえず一食分だけ再び皮を伸ばして、包んで、これほど心待ちにしたことはない餃子を口にしたのは、夜9時半!

 

 

って、息子を寝かせてないし、私はすべての作業に疲れ果て、片付けは旦那さんにまかせて、息子と一緒にバタンキュー。

 

 

 

ちなみに、汗と涙の結晶ともいえる餃子はコレ ↓

 

 

色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

 

コチラが作っている途中の写真 ↓

 

色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

(左上に申し訳なさそうに並んでいる二つは旦那さんが包みました。そのときは直球の駄目だしをして、二つまででやめてもらったのですが、今こうしてみると、なかなか芸術的で趣があります。でも、何度も言いますが、この時はそんな感想を抱けるような心の余裕はなかったのです。)

 

 

ちなみに、お味は「蓬莱の餃子」よりも「蓬莱の肉まん」に近い味がしました。

 

 

 

 

餃子に翻弄された数日後、今度は「肉ブーム」がやってきました。

 

 

餃子もすでに肉がメインですが、それとは比較にならないほどの「肉肉しい」ものが食べたくなったのです。

 

 

イメージとしては、こんな感じ・・・ ↓

 

 

色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

 

 

この頃になると、つわりがかなり酷くなっていて、起き上がるのも一苦労な時期だったので、近所の肉屋で旦那さんに「鶏の丸焼き」を買ってきてもらうことになりました。

 

ただし、この鶏の丸焼き、これも大都市ならいつでも手に入るものですが、うちの町では、毎日焼いているところはなく、5,6軒回ってやっと手に入れることができました。

 

 

その間、私の頭の中は「鶏の丸焼き」のみ。

 

 

写真は、旦那さんが帰宅した直後にむさぼるようにして食べたためにありません。

 

 

 

 

この丸焼きブームは数日続いて、同時にサラダブームがやってきました。

 

 

こんな感じ ↓ でサラダ菜とゆで卵と割いた鶏肉(丸焼きの残り)を盛り付けて、塩、コショウ、レモン汁、オリーブオイルだけで食べる、という日がまたまた数日。

 

 

 色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

 

妊娠する前まで当たり前のように食べていたマスタード入りの自家製ドレッシングは見るのも嫌。この、食べ物に対する嫌悪感には、執着心と同じくらい悩まされました。

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、今度はドイツ&オーストリア料理が食べたくなりました。

 

 その中でも食べるまで頭から離れなかったのが・・・

 

 

 

ウィーナーシュニッツェルWienersnitzlとカルトッフェルザラットKartoffelsalat

 

 

・・・って、要は「トンカツ」と「ポテトサラダ」なのですが、これは日本風のものではなく、とにかく、オーストリアやドイツで食べたことのある二つの料理が食べたくてしょうがなくなったのです。

 

 

とはいえ、オーストリア風の巨大なトンカツを作る体力も気力もなく、結局できたのはいつも通りの日本風トンカツ(しかもオーブンで作る“なんちゃってトンカツ”)。

 

 

 

 

色んな味を知っていると地獄を見ることがある 

(はい、全然おいしそうじゃないです・・・)

 

 

 

せめてポテトサラダだけは本場に近いものを、というわけで、ドイツやオーストリアのレストランで食べたポテトサラダを思い出しながら、とりあえずジャガイモの皮を向いて薄切りにしたものを茹でている間に旦那さんに作り方を検索してもらいました。

 

 

すると、どうでしょう。

 

 

あのポテトサラダを作るために最初にすることは、なんと、「ジャガイモを丸ごと蒸す」ことだと言うではありませんか!

 

 

ジャガイモはすでに茹でてる途中だし、レシピを検索してもらってから作らなかったことを後悔しました。

 

 

仕方なく、調味料だけでもレシピ通りに・・・と気を持ち直したものの、ここでも問題発生。

 

 

つわりが酷くなってからというもの、玉ねぎやニンニクを切ったり焼いたりする匂いがとにかく嫌で嫌で仕方がなかったというのに、「玉ねぎをブイヨンで茹でる」という工程があり、その通りにしたものだから、茹で途中&後の匂いに耐えられなくなって、どれだけ窓を全開にしてもまともに眠ることさえできないほど苦しむ羽目に。

 

 

せっかく作ったポテトサラダがおいしかったかどうかはおろか、レシピ通りにできたかの判断すらできずに、無理して作ったことを後悔しました。

 

 

 

 色んな味を知っていると地獄を見ることがある

 

(味はともかく、見た目が本場のものとは明らかに違う・・・仕方がないのでドイツやオーストリアのレストランで食べていることを想像しながら、脳内の欲求が去るのを待ちました。)

 

 

この他にも、白いご飯は嫌なくせに突然「塩鮭のおにぎり」や「かやくごはん」が食べたくなったり、「なすびの煮びたし」なんかが頭に浮かんだりして、その度に重い身体を起こして、うめきながら料理をし続けました。

 

 

そんなこんなで“食べ物に対する執着地獄”から数か月も抜け出せずにいたわけですが、中でも特に、「なんでこんなものが食べたくなるんだ!?」と自身の記憶を恨んだものがありました。

 

 

それは・・・

 

 

 

 

 アメリカンドッグ☆

 

 

ちょうど私のつわりが酷かった真夏に日本各地のお祭りの屋台で売っているあれです。

 

 

自身の記憶を辿っても、子供のころに一度食べたことがあるかないかで、思い入れも何もないものなのに、突然頭に浮かんで、どうしても食べたくなったのです。

 

 

自分で作ろうと思えば結構簡単に作ることもできるようですが、そんな体力と気力はなく、頭の中を占領している「アメリカンドッグ」の存在が消えるまでひたすら欲求と戦い続けました。

 


食べ物に対する欲求や執着がピークを迎えていたころは、もしかするとアルコールや薬物依存症に近い精神状態にあったのかもしれません。

 

 

 

 

これらの変化を経験している間にふと思ったのは、これだけ色んな食べ物が思いつくのは、それを食べたことがあって、味を覚えているからだ!ということ。

 

 

つまり、例えばどこかの山奥で生まれ育ってそこから一度も出たことのない妊婦が私と同程度の食嗜好の変化を感じても、その妊婦は「アメリカンドッグ」がこの世に存在することは知らないわけで、それがどうしても食べたいと思うことはないわけです。

 

 

ここ数か月に食べたくなったものを振り返ってみると、肉類や卵などのタンパク質が大半を占めていて、胎児の成長に必要なものを体が欲していたんだろうなと納得するものの、脳内の食べ物の記憶が少なかったら、もうちょっと楽だったんじゃないか・・・と思わずにはいられません。