続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

なるべくしてなった、トランプ・アメリカ大統領 ※修正済み(青文字部分)

やっぱり、というか・・・ とうとう、というか・・・ ついに、というか・・・ “奴”に決まってしまいました。



ドナルド・トランプ アメリカ大統領



少し前に、シャルリー・エブドが掲載する風刺画が人々を不快にさせるのはなぜなのかを丁寧に解説した、イタリア人映画監督・Francesco Mazzaの記事を紹介しましたが、日刊べリタのインタビューでMazzaはこのように言っていました。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201610220207266

<20世紀を振り返ると、最初の75年は人々は自由のために激しく戦いました。まずは独裁者たちとの戦いです。次に政府の統制や偏りに対して戦いました。ところが民衆がとうとう自由を手に入れたとき、その自由を使って何をするのか、戸惑うばかりだったのです。価値観も道徳も倫理もなくなってしまい、個人は耐えがたいほどの喪失感に襲われるようになりました。ここから、流れが逆流したのです。 1980年代以後、自由を制限する傾向は止めどなくなってしまいました。今日、わずか1日で自由を奪われることはありません。というのも、みんなが抵抗するからです。しかし、毎日毎日、少しずつ少しずつ、気がつかないようにすれば自由は簡単に奪われてしまうのです。そして、恐ろしいことですが、人々はもう自由を奪われたことにすら気づかず、自由のない状態を好み、混乱から解放されたと思うようになってしまうのです。私の考えではこれこそ多くの人に起きている現象です。未来についていえば、1960年代のヒッピーたちが愛したような自由よりも、人々は独裁者に統治されている方がより居心地がよくなっていると思います。 >


Mazzaの言うとおり、「民衆が独裁者(もしくは独裁的なこと)を好む現象」は今世界各地で起きています。

志願者が絶えない「イスラム国」はもっとも顕著な例で、フィリピンで暴言連発のロドリゴ・ドゥテルテが大統領に選ばれたり、英国の有権者の半数以上がEU離脱を望んだり、日本で安倍晋三が腰を据えていられるのも、この人間の心理が大きく影響していると思います。

だいぶ前に読者のかよこさんに教わったこの ↓ リンク先でも、「イスラム国」への欧州からの志願者が絶えない理由について、イスラム政治思想研究者の池内恵氏が以下のように述べていました。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html?page_no=1

「これは移民に限らないことだが、近代自由主義の中で生きる人間に固有の問題が現れているのだと思う。どういうことかというと、西欧社会では「自分が何をなすべきか」は自由意思に任されている。逆に言えば絶対に正しい答えというものはなく、自ら判断しなければならない。そのような自由は時として重荷になってしまう。ところが、何か権威あるものに従うことにすれば、自分で決めなくても良い。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析した社会心理学者、エーリヒ・フロムの言葉でいえば、彼らは「自由からの逃走」を図ろうとする。ましてやイスラム教の「神の啓示」は、なすべきことを全部教えてくれる。先進諸国からイスラム国を目指す若者が出ているのは、このような理由があるからではないだろうか。」


「自由」という言葉の響きは、「最も楽なこと」に聞こえがちですが、実際にはその逆だったりします。自由を手に入れることは、「日々、選択を迫られること」であり、脳をフル回転しなければなりません。 つまり、そのような「選択」が面倒になって、誰かに指示されて従うほうが楽だと感じる人が出てきてもおかしくないのです。

今回のアメリカ大統領選でも、本人が気づいていない場合がほとんどとはいえ、そう感じる人の多くが“自然の成り行き”でトランプに投票した・・・気がしてなりません。



そしてもう一つ、ドナルド・トランプが大統領になるべくしてなったと思う原因、それは・・・ 世論を操るメディア

今回の大統領選で、ドナルド・トランプとヒラリー・クリントン以外に候補者がいたことを、どれだけのアメリカ国民が知っていたでしょうか。 私は、2人以外の候補者にも投票できたことを、投票が締め切られてから知りました。 もちろん、私はアメリカ国籍もなければアメリカ市民でもないので、投票権はありません。 でも、アメリカ国民はそのことをもっと周知されるべきでした。

そして、候補者が他にもいるのに、まるで一騎打ちのように報道するのは、アメリカだけではありません。 日本では特に知事選などでその傾向が現れます。 ここ、フランスではそれが大統領選で発揮されます。 今現在もすでに、共和党(元UMP)の大統領選の候補を決める予備選挙を前に、志願者7人のうちの2人だけが注目され、他は二の次。メディアが2人ばかりを取り上げれば取り上げるほど、他の候補者は不利な状況に陥り、事実上の一騎打ちが演出されてしまうのです。

実際のフランス大統領選は二次投票が一騎打ちですが、メディアではもう、誰と誰が一騎打ちになるか、という話題でもちきり。 このまま「独裁者(または独裁的な発言)を好む人間の心理」と「メディアによる差別報道」が続けば、次は我らがマリーヌ・ルペンの出番!

冗談でもなんでもなく、極右政党代表が務めるフランス大統領の誕生がかなり現実味を増してきました。


(※記事中に、民衆が直接選んだわけではない「国家の独裁化」と「民衆が独裁者(もしくは独裁的なこと)を好む現象」を混同してしまった文章があったので、11月10日、加筆・修正しました(青文字部分)。失礼しました。)