続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

“単独”とは言い切れない、ニースとベルリンのテロ

12月19日、ベルリンのクリスマス市を狙ったテロが起きました。

 

 「次は学校」と言われていた中、先週の金曜日に息子と旦那さんが無事帰宅してほっと一息ついた矢先のことでした。

 

 

 テロの手口がトラックで“単独犯”・・・と聞いてニースのテロを連想しない人はいないでしょう。

 

 

一方で、実行犯が一人であるが故に、今後の報道で犯人像ばかりに焦点が当てられ、今回もまたテロの原因が有耶無耶にされたまま時間ばかりが過ぎていくことが懸念されます。

 

 

 実際のところ、当初は「精神異常者だった」とか「暴力的だった」などと、特異な性格が残虐行為に繋がったと言われていたニースの実行犯Mohamed Lahouaiej Bouhlelは、協力者が全くいなかったわけではないことが明らかになりつつあります。

 

 

 一週間前の12月12日、ニースのテロを手助けしたとされる容疑者10人が新たに逮捕されました。

 

 

12月9日にはニースから遠く離れたナントNanteで共謀者とみられる一人が逮捕(翌日釈放)されていて、テロが起きた7月中に実行犯に武器を提供したとして逮捕されたアルバニア人カップルを含めた7人を合わせると、すでに18人目。

 

 

 10月1日にAujourd'hui en France(日刊紙)に掲載された記事によると、元妻や家族、親しい友人、もと上司などが「(実行犯が)過激化している兆候は一切見受けられなかった」と口を揃える一方で、同性愛者の友人(当初の報道では恋人とされていたが、「体の関係はなかった」と本人が否定している)に「イスラム国」の斬首の映像を見せたり、7月中に逮捕され、シャルリー・エブドの襲撃テロを称賛するメールを友人に送ったとされるMohamed Oualid Wと、一年間に1200回以上電話でやり取りした形跡があることが発覚しています。

 

 

 

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(「ニースのサディスト」という見出しの見開き記事 01.10.2016 Aujourd'hui en France)

 

 

 

要は、できるだけ周囲に気づかれないように、少なくとも一年以上をかけて着々と準備を進めていたと言えます。

 

 とはいえ、実行したのは彼だけであって、「精神に異常をきたした人間が思い余ってやった」という見方が今もテロの主要原因とされています。

 

 

 でもここで、彼が犯行に及んだ理由を“個人的な理由”で片づけてしまうのは、無理があります。

 

 なぜなら、彼は「イスラム国」というグループに多かれ少なかれ洗脳されていたからです。

 

 

もともとイスラム教徒だった彼が、いかなる理由で過激化したにせよ、そこにつけこんだ「イスラム国」という組織がある以上、テロを個人的な理由で起こしたと言い切ることはできません。

 

 

 

 それを証明する資料を2点、ここに挙げておきます。

 

 

まずは、le Journal du Dimancheという週刊紙が、10月19日に掲載した、過激化しているとされる1万5000人の所在地を示したフランスの全国地図です。この地図を見れば、1万5000人の多くは大都市やその近郊に集中しているとはいえ、フランス各地に点在していることがわかります。

 

 

“単独”とは言い切れない、ニースとベルリンのテロ

 

 

http://cdn-lejdd.ladmedia.fr/var/lejdd/storage/images/media/images/jdd-carte-de-france-de-la-r/12917968-1-fre-FR/jdd-carte-de-france-de-la-r.jpg

 

 

要は、「イスラム国」の組織網はすでにフランスに張り巡らされていて、複数の過激化した人間(或いは彼らを扇動する人間)と関係があったニースのテロの実行犯もそのうちの一人だという可能性は非常に高いのです。

 

 

 そしてもう一つは、イスラム国が“建国”二周年を記念して発表したとされる図 ↓

 

 

 

 

 この図はイスラム思想研究家・飯山陽(あかり)氏のブログ「どこまでもイスラム国」に掲載されているのですが、解説がわかりやすく興味深いのでそのまま引用します。

 

 

http://blog.livedoor.jp/dokomademoislam/archives/62580726.html

 

<イスラム国は世界中に支部を持っているのですが、彼らはそれらが「どの程度の領域支配を確立させているか」によって3分類しています。

 

まず第一は、「広い領域支配を確立させている支部」で、これに該当するのがシリアとイラク。

 

第二は、「ある程度の領域支配を確立させている支部」で、これに該当するのはチェチェン、イエメン、エジプト、ナイジェリア、リビア、ダゲスタン、アフガニスタン、二ジェール、フィリピン、ソマリア。

 

これらの第一、第二グループに分類されている地域では、イスラム国は州の設立を宣言しています。

 

第三は、「領域支配は確立させていないが部隊が秘密裏に活動を展開している支部」で、これに該当するのがサウジ、トルコ、アルジェリア、フランス、チュニジア、レバノン、バングラデシュです。

 

トルコは第三グループに分類されています。

 

第三グループには、しれーっと「フランス」が含まれているのも注目点です。>

 

 

 ここで理解しなければならないのは、フランスなどの“第三グループ”においては、物理的な“支部”は存在せず、過激化している人間も、テロを実行した人間も、その共謀者も、「イスラム国」という組織と“気持ち”でつながっていることです。

 

 

その“気持ち”はイスラム国に対する忠誠心であり、私たち部外者が見ると、“洗脳”という言葉に置き換えることができるはずです。

 

 

“洗脳”の度合いは人それぞれでしょう。

 

 

でも、「イスラム国」に共感してフランス人やその他大勢の異教徒や無神論者に敵意を持ち始めた人から、テロの計画をする人、テロで自爆する人まで程度は様々とはいえ、そのすべてが「イスラム国」のメンバーであり、線引きはできません。

 

 

「イスラム国」という組織は現在、少なくともフランスにおいてはそういう形で成り立っているのです。

 

 

フランスに比べれば小規模とはいえ、ここ数か月でテロが頻発しているドイツも、いずれこの第三グループに加えられる可能性があります。

 

 

 

 

「イスラム国」のテロを語る上でもう一つ重要なこと、それは「イスラム国」が、巷の噂とは裏腹に、イスラム教の経典・コーラン(クルアーン)にかなり忠実な行動を取っていることです。

 

 

・・・と素人の私が言ったところで、誰も取り合ってくれないと思うので、ここでも先に紹介した専門家・飯山陽氏の言葉を引用することにします。

 

 

 

http://nouranoiitaihoudai.blog.fc2.com/blog-entry-328.html

 

(飯山陽氏のもう一つのブログ(『どこまでもエジプト』)記事の抜粋 ↓)

 

 

<善良なイスラム教徒はイスラム国やアルカイダのようなイスラム過激派のことを「あれはイスラムではない」「間違ったイスラムだ」と必ず批判しますが、実はイスラム過激派のイスラム解釈は、伝統的イスラム解釈に忠実に則ったものであり、だからこそ少なからぬ数のイスラム教徒を魅了する強力な求心力を有しているのだ、という隠蔽されがちな側面があるわけです。

 

イスラムの伝統的方法論に則って各々の教義について論争した場合、エジプトにおけるイスラムの権威であるアズハルよりイスラム国の方がより強い論拠を有しているというのは、否めない真実なのです。

 

例を挙げますと。。。

 

イスラム国は捕虜にした敵の首を切って処刑することは、イスラム的に正しいと主張します。

 

その論拠のひとつはこちら、『コーラン』の第47章4節です。

 

このようにあります。

 

「あなた方が不信仰者たちと出会った際には首を打ち切れ。」

 

アズハルはこうした行為はイスラム的に誤っていると主張しますが、「この節は戦争状態の場合に限った内容である」とか、「イスラム国の行っているのはイスラム的に正しい戦争ではない」とか、「そもそもイスラムとは平和の宗教である」とかあれこれ言ってみたところで、『コーラン』第47章4節に「不信仰者の首を打ち切れ」とある真実は決して揺るぎません

 

イスラム教徒は皆、『コーラン』は神の言葉そのものであると信じています。というか、こう信じない人はイスラム教徒失格の烙印を押されます。

 

イスラムには様々な解釈の方法論がありますが、最強の論拠が神の言葉そのものである『コーラン』の章句であるというのは、その方法論における大前提です。

 

イスラム国は『コーラン』というイスラム的最強の論拠に依拠し、過激行為を繰り返し、国家まで樹立してしまったわけです。

 

誤解を恐れずはっきり言うならば、イスラム国こそが「イスラムど真ん中」、「最もイスラム的存在」なわけです。>

 

 

 

・・・ということなのですが、「イスラム国と私は違う」と信じる、いわゆる穏健派のイスラム教徒たちにとって、これらの事実を受け入れることは簡単ではないはずです。

 

 

私だって、イスラム教徒の友人や知人、息子の学校の保護者たちが、「イスラム国」とは何の関係もない人たちであって欲しいと思います。

 

 

でも、残念ながら、「イスラム国」もイスラームであり、それどころか、「最もイスラム的存在」であることは、専門家の多くが認めていることなのです。

 

 

これはなにも「イスラム教徒は皆テロリスト」と言っているのではありません。

 

 

「イスラム国」がコーランに忠実である限り、そのメンバーはれっきとしたイスラム教徒であること、そして、コーランがこの世に存在し続ける以上、イスラム教徒によるテロはなくならない、ということなのです。

 

 

 

 

と言うと、じゃぁそのコーランの内容を変えればいいんじゃない!?

 

 

・・・と思う人はいるだろうし、私も思いましたが、コーランは飯山氏の記事にもある通り、イスラム教徒にとっては“神の言葉”。実際に変えようと努力した(或いはしている)イスラム教徒や専門家はこれまでに沢山いましたが、“神の言葉”に人間が手を加えるなんてとんでもない!、と思う人のほうが今も昔も明らかに多く、実現できずにいる、というのが現状なのです。

 

 

 以上のことから、テロをなくす方法を見つけ出すのは至難の業だということが言えます。

 

 でもだからといってテロの原因がイスラム教、つまりは「コーラン」にあることから目をそらしていては、議論を始めることすらできません。

 

 穏健なイスラム教徒を擁護したい気持ちは嫌というほどわかりますが、このままではテロは続いていき、私たちの虚しさは増すばかりなのです。