続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

フランス人が書く“いちえふ”

 

福島の無言の歩兵たち

 

 

2016年2月7日

 

福島という固有名詞を知らないものはいない。2011年3月11日の地震がもたらした悲劇を知らないものもいない。しかし、5年の間に4倍に膨れ上がった原発作業員の数を知っているものはいるだろうか?安全性を軽視する下請け会社に雇われ、被爆限度量を遥かに超える放射線量にさらされ、行政の触手によって囚われの身となる彼らは、あらゆる世代からなり、全国各地から集まる。今では滅多に報道されない惨事を“修復する”任務を請け負った、無言の歩兵たちだ。

 

リベラシオン紙の日本特派員Arnaud Vaulerinが集めた証言は、背筋を凍らせ、これまで最新技術の象徴だった日本のイメージを覆す。低報酬の単純作業や、安全強化というよりも日曜大工に近い修復作業、肉体を極限に追い込む日々、解雇の脅し、保険の欠如、やくざによる市場支配が常態化する中、未成年者から知的障害者までが使いまわされる。津波のトラウマに代わって現れたのは、計り知れない規模の人災だった。

 

原発ジプシー

 

しかし、個人よりも集団が重視される社会では、知らない間にあらゆることが義務化され、主義主張はおろか、労働環境の改善を訴えることもままならない。お国のためと割り切っている“原発ジプシー”もいるが、中には苦悩を吐露するものもいる。「原発作業員は見捨てられています。使い捨て同然です。雇って使って、いらなくなったら捨てる。僕ももちろん使い捨てです。」ある未成年の作業員はそう言って続ける。「食べていくためにお金が必要なので体のことは二の次です。」

従来の取材の枠を遥かに超えたこの大掛かりな記録は、原発の怖さと共に闇に葬られそうな人々に光を当てる。東京は、第32回2020年の夏季オリンピックを開催することに沸き立っている。国家の恥と見なされた惨劇を忘れるために、明日は何とかなるだろうと。

 

(原文 Laëtitia Favro - Le Journal du Dimanche)

 

http://www.lejdd.fr/Culture/Livres/Arnaud-Vaulerin-les-voix-perdues-de-Fukushima-771679

 

 

 

・・・という記事を冬休み(2月14日〜28日)が始まる前に読んで、わが町で唯一の本屋で、記事で触れている本を探したら奇跡的に一冊だけ入荷していて、自由時間のほとんどを読書に費やしていたら更新が滞ってしまいました。

 

 

 

 フランス人が書く“いちえふ”

 

 

 

タイトルは『La Désolation』

 

辞書を引くと「深い悲しみ、悲痛、悲嘆」または「荒廃」と出てきます。

 

副題は『-LES HUMAINS JETABLES DE FUKUSHIMA-』

 

直訳すると『福島で使い捨てにされる人々』

 

 

 

フランスはもちろん、日本でも原発事故後の福島に関する報道が限られている中で、最も忘れられがちな原発作業員をテーマに本にしてしまった著者と出版社を尊敬します。

 

上の記事にもある通り、ルポルタージュの作者はリベラシオン紙のジャーナリストArnaud Vaulerin。

 

2年の歳月をかけて作業員の過酷な実態を知り、東電の嘘を目の当たりにするにつれ、怒りを通り越して悲しみを覚えたことがこのタイトルの由来でしょう。

 

原発事故後の実態を知らないフランス人に向けて書かれたものなので、日本語では既存の情報もありますが、客観的な考察や筆者独特の観察眼が生かされた描写などが秀逸で最後まで飽きさせません。

 

できることならすぐに日本語訳を出してもらいたいところですが、とりあえずはフランス語を解する人におすすめの一冊です!