続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

今週号で引退するLUZが捧げる 『風刺画の読み方講座』

マクドナルドにこだわりすぎた私よりも、作者本人のRISSよりも、この人の解説が一番わかりやすいかもしれない・・・

というわけで、今週号で引退するLUZリューズが2面全面を使って“開催”した「風刺画の読み方講座」も紹介することにします。

なんのことだかわからない人のために繰り返しますが、解説の対象になっているのはこの ↓ 風刺画。

今週号で引退するLUZが捧げる 『風刺画の読み方講座』

(※ 誇らしげにお値打ち価格を掲げるマクドナルドの看板の横に、海岸に打ち上げられたシリア人難民のアイラン君の遺体が描かれ「あともう少しだったのに・・・」の文言が添えられている。周囲で解説しているのがLUZリューズ。)

イギリスの弁護士協会がこの絵を批判したことを発端に世界中から中傷や脅迫のメールがシャルリーの編集部に寄せられたわけですが、今回はいつにも増して誤解の程度が甚だしく、シャルリー・エブド自身が解説を載せる羽目になりました。

以前にも元編集長のCHARBがふざけながら風刺画解説をしたことがありましたが、こうして真面目に解説してもらえる機会は貴重だと思います。

それでは、ツイッターの反応に答える形式で構成されたLUZの解説およびに私が勝手につけた日本人向けの追加説明をお楽しみください。


  • ツイッターの反応 その一 「SHOCKING!(不快だ!)」

    この類の反応は、特にフランスから遠く離れたところで多かったようです。LUZは「テロが起こるまでフランスの風刺の伝統に触れたことがなかった貴方が不快に思うのは自然なこと」と言い、風刺画を見てショックを受ける人々を否定しません。 そもそもが風刺画を見て「ショックを受ける」のは悪いことではなく、「よい傾向」だとLUZは言います。なぜなら「衝撃を与えるのが秀逸な風刺画」だとシャルリー・エブドの創設者CAVANNAが言う通り、風刺画の目的は、読む人にショックを与えて考えさせることにあるからです。 実際、LUZが今回の風刺画を見たときは「顔を拳で殴られたような衝撃を受け」「同僚の才能に嫉妬した」ほどだったと言います。

  • ツイッターの反応 その二 「難民の子供を馬鹿にするなんて酷い!」

    この手の感想も風刺画の読み方をよく知らない人にありがちですが、風刺画の中に描かれていることをすべて馬鹿にしていると解釈するのは安易に過ぎます。この絵が標的にしているのは、「子供の遺体をメディアが取り上げてやっと重い腰を上げた西ヨーロッパ(消費社会)の鈍さ」であって「もっともな指摘と馬鹿馬鹿しい絵を掛け合わせた」「笑うためというよりも的確な状況判断を導く」ための風刺画なのです。   数年前に福島の原発事故を題材にした風刺画が日本で物議を醸したことがありましたが、あれも「まだまだ福島は汚染されているのにオリンピックを招致するなんて日本の政府は狂ってるぜ」と言うために描かれ、決して福島の住民を馬鹿にするものではありませんでした。

 

  • ツイッターの反応 その三 「子供の遺体を風刺するなんて酷い!」

    これはその二の解説の続きになりますが、この風刺画に描かれているアイラン君は実は風刺されていません。どういうことかというと、「風刺する」という動詞の本来の意味は「見た目を下品に描く」ことであり、この画のアイラン君は下品に描かれてもいなければ誇張されてもいません。写真に写っていたままを描写しているに過ぎないのです。・・・と言うと「風刺じゃないなら最初から描かなければいい」と思う人がいるかもしれませんが、この画の元ネタはアイラン君の写真なので、このニュースに触れる場合は彼の描写は必要不可欠です。また、このような痛ましい写真を画に置き換えることで「悲劇を一歩引いて見ることができる」という利点もあるとLUZリューズは言います。

  • ツイッターの反応 その四 「表現の自由にも限度がある」

    まるで日本人のツイートから選ばれたような一文ですが、大多数の日本人の思いとは裏腹に、表現の自由に限度はありません。「コレとアレは風刺のネタにするのを控えたほうがいいなんて何を規準に言えるの?」とLUZリューズが問いかけるように、表現の自由に規準はなく、規準を作った時点でもはやそれは“自由”ではない“制限”になってしまうからです。 このことは何故シャルリー・エブドがムハンマドを描き続けたかにも繋がります。イスラム教がムハンマドの偶像崇拝を禁止しているからと言って、シャルリー・エブドがそれに従うことはイスラム教に服従することを意味します。一つでも従ってしまえば、もうそこに表現の自由はありません。

 

  • ツイッターの反応 その五 「敬意が足りない」                        その六 「差別的な絵だ」

    これらの批判に対するLUZの答えは次の通り。「確かに敬意が足りない部分があることは認めます・・・マクドナルドのドナルドに対しては!」(爆)・・・というわけで「油の臭いが染み付いたピエロに対する差別的な絵」であることは確かですが、ファーストフードが社会に及ぼす悪影響を考えると、これでもまだまだ物足りない!と私なんかは思ったりします。

 

  • ツイッターの反応 その七 「Je ne suis pas Charlie 私はシャルリーではない」

    LUZの答え→「別に構わないよ。ならば読まなくていい。でもね、早とちりなツイートをする前に考えてみることを忘れないで!」

 

  • ツイッター・・・ではなくて同業者(フランスのメディア)の反応 「シャルリー・エブドはやりすぎなのか?」

    編集室に届いたメールやツイッターの反応よりも「一番腹が立つのはフランスのメディア」。なぜなら「上記のことをすべて理解しているくせに、批判的なツイッターなどと一緒になって問題提起した」から、だそうです。ここに、今回の騒動を無知で情けない内容で報道した日本のメディアも加えたいと思います。



以上、LUZリューズによる風刺画の読み方解説、及びに“よくわからないのにとりあえず批判しちゃう日本人”向けの説明でした。 シャルリー・エブドを好きになってくれとは言わないけれど、「シャルリー=差別主義者」というレッテル貼りだけはやめて欲しい!です。