続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

死刑宣告に参加する権利

シリア難民の幼児の遺体写真を元に描いた風刺画が物議を醸したことに関して、シャルリー・エブドの複数のメンバーが今週号で言及しています。

 

LUZはツイッターの反応を取り上げながら「風刺画の読み方講座」風に解説 ↓

 

 死刑宣告に参加する権利 

 

(日本語訳の一部はコチラから)

 

 

また、問題の風刺画の作者本人であるRISSは、社説で皮肉たっぷりに反論 

 

・・・しているのですが、「またシャルリーが不謹慎な風刺画を書いた!」という内容の記事は沢山出て、沢山の人に読まれて、沢山の人が「やっぱりシャルリーは悪だ」と再び誤解したものの、作者本人が書いた説明はなぜかスルーされているので、訳しました ↓

 

 

 

『死刑宣告に参加する権利』

 

 

2015年9月23日(シャルリー・エブド1209号より)

 

ソーシャルメディアがまた荒れた。事の発端は砂浜に打ち上げられた幼いアイラン(シリア人難民)に通学かばんを背負わせ「さぁ新年度だ」と題した絵だった。この絵の作者Emmanuel Chaunuエマニュエル・ショニュというイラストレーターがシャルリー・エブドの風刺画家と勘違いされ槍玉に挙げられた。(彼がこの絵を公開した時点で、少なくとも18人のアーティストがアイラン君の写真を元に描いた絵を公開している→ http://www.buzzfeed.com/ryanhatesthis/aylan#.lorX79XP0n それにもかかわらず彼の絵だけが叩かれた。)その数日後、批判の矛先が実際にシャルリー・エブドに向けられる。誇らしげにお値打ち価格を掲げるマクドナルドの看板の横に、例のアイランの姿、そして「あともう少しでゴールだったのに・・・」の添え書き。編集室は侮辱と脅迫のメールで溢れ返った。それは、「クアシ兄弟が“仕事”をやり遂げなかったのが残念だ」という類のもので、警察が私たちにメールの発信者を訴えることを勧めたほどだった。

 

シャルリー・エブド銃撃テロから8ヶ月、これらの発言は沈静化していたかのように見えた。しかし実際はあのテロが憎しみや脅しの言葉を増やすきっかけになったように感じられる。あの日以来、「ざまぁみろ」という言葉が多くの人の間で有り触れた表現として使われている。(この言葉を使うのが)もはやイスラム国の戦闘員だけではなくなった。まだフランスで死刑が執行されていた半世紀前には、死刑囚に対するこのような言い草がまかり通っていた。8歳の男の子を殺害したPatrick Henryに死刑を逃れる判決が言い渡され彼が法廷から出てきた時、群集がよってたかってギロチン刑を要求したことを思い出して欲しい。

 

戦時中はもっと酷かった。ユダヤ人の隣人やレジスタンスの夫を排除したければ参謀本部に手紙で密告するだけでよかった。そして今、ツイッターやフェイスブックでは、気に食わないことがあれば誰でも簡単に殺人を要求できるようになった。殺人要求は今では平凡なことで、立派な権利として存在している。インターネットは死刑宣告に参加する権利を生み出したのだ。宗教の権力者がわざわざFatwaファトゥアー(※)を出す必要もない。(※ イスラーム教に基づく宣告)あなたも私も皆、アヤトラになったのだ。“ソーシャル”とは名ばかりのメディアが何億人という登録者に、狂信的な宗教の教祖と同等の権利を与えてくれたお陰だ。これにより各個人がそれぞれの信条にのっとって世界のあらゆる個人や団体を脅迫できるようになった。

 

シャルリー・エブドはこれまでにも宗教に対する風刺画を度々批判されてきた。ただし、脅迫を受けるのはこれらの風刺画に限られていた。シャルリー・エブドが掲載した幼いアイランの風刺画には宗教的なものも冒涜に当たるものも含まれていない。それなのに処罰の対象にされた。まるで人の死が崇拝するべき宗教の一部になったかのように。ムハンマドの偶像化を禁止することに匹敵するほど絶対的に遵守しなければならないことのように。崇拝の対象を探し求めるばかりに子供を神聖化した結果がこのような馬鹿げた騒動に繋がっていることも忘れてはならない。

 

シャルリー・エブドは誰の死も望んだことはないし、誰が死ぬのも見たいと思ったことはない。いかなる子供のいかなる残虐死もだ。死刑に反対の立場をとっているのだから当然と言えば当然だ。ブラックユーモアというのは、殺人を要求するものでも人の苦しみがわからないから言うものでもない。幼いアイランを描いたシャルリー・エブドのブラックユーモアは、気分次第で怒りを覚えるご都合主義を一歩引いて嘲り笑うために過ぎない。移民の遺体が写った写真はだいぶ前から世の中に出回っていて、シャルリー・エブドの風刺画家はこれまでにも海岸に打ち上げられた遺体を描いてきたにも関わらず、誰も気に留めようとしなかった。とは言うものの、それらの遺体には欠点があった。それはアフリカの黒人の、そして成人のものだったことだ。あなたが18歳以上の黒人なら世界中があなたたちの死に無関心なのだ。幼いアイランの絵に怒りを覚えシャルリー・エブドが差別主義者だと言う人は目を覚ましたほうがいい。なぜならそういう人たちこそ自身のバカンス中に同じ海岸に打ち上げられたアフリカの移民たちを無視して、白人の子供の死体に限って感情移入したのだから。

 

イギリスの法律家協会が、ヘイトクライム(憎悪犯罪)を誘発するとしてシャルリー・エブドを欧州人権裁判所に引きずり出すことにしたと言う。怒りの原因は、溺れる幼いアイランの横でキリストが水面を歩く様子が描かれたもう一つの風刺画。「ヨーロッパがキリスト教である証拠:キリスト教徒は水面を歩き、イスラーム教の子供は溺れる」と記されている。このご時世に、ましてや批判精神を備え教養があるとされる人たちが、このような風刺画を真に受けたことに愕然とする。この絵はキリスト教徒であることを仄めかしながら認めようとしない一部の欧州人を皮肉っているに過ぎない。そんな絵がヘイトクライムを誘発すると解釈されてしまった。こうしたことを本気で非難するのは、クアシ兄弟の後釜がシャルリー・エブドを再び襲撃することに賛成しているようなものだ。彼らが実際に告訴した場合は、ヘイトクライムに対する効果が一切得られないどころか、シャルリー・エブドに対する憎悪を拡散させるだけだろう。フランスやイギリスにはもう死刑は存在しない。インターネット上におけるシャルリー・エブドを除いては。

 

RISS(リス)

 

 

 

テロをきっかけに世界的に有名になってしまったことで、こうして説明でもしなければ理解してもらえない人が沢山見ていることが気の毒で仕方ありません。

 

 

 

この翻訳はシャルリー・エブドの許可を得た上で、ネット新聞・日刊ベリタに掲載されました ↓

 

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201510021439525