続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

そして私たちは「ユダヤ人」になった

パリの東の入り口にある、ユダヤ食品専門スーパーでテロが起きてから今日で一年。

 

 

ユダヤ人がイスラム国の標的になったのは、シャルリー・エブドが襲撃された2日後のこと。

 

 

ところがこのテロの話は影を薄め、あまり話題になりません。

 

 

たとえ話題になっても、その理由は語られません。

 

 

なぜ理由が語られないのか?

 

 

なぜ話題にしないことが危険なのか?

 

 

理由を考えたときに見えてくるものとは?



シャルリー・エブドの記者Gérard Biardが解説しています ↓

 

 

《シャルリー・エブドに対するテロや11月13日の同時多発テロの理由については、各界の“専門家”や知識人がありとあらゆる言説を立てたのに対して、1月9日に4人の犠牲者を出したHyper Cacher(ユダヤ食品専門スーパー)襲撃事件に関して理由付けする者はいなかった。2014年5月に起きたブリュッセルのユダヤ美術館のテロも同様。まるで自業自得とでも言うように。

 

反ユダヤ主義や、反シオニズム(※)的な暴力が自業自得で片付けられてしまうわけは、ユダヤ人一人一人がイスラエルの国としての行いに罪の意識を持たされているからである。(※シオニズム=イスラエルの地に故郷を再建しようとするユダヤ人の近代運動) 

ユダヤ人以外が殺されたときは複雑な事情が絡み合っているとされるのに、ユダヤ人が殺されれば政治のせいにする。ユダヤ人がユダヤ人というだけで殺されるのがあまりにも当たり前になってしまったからだろう。反ユダヤ主義の殺人は、イスラム国のテロ行為、いや、全てのテロ行為の死角に追いやられてしまった。

 

しかし、それは大きな間違いである。命の重み云々に限ったことではない。なぜなら、誰が「ユダヤ人」であるかは、虐殺者が決めることだからだ。11月13日のテロがそれを証明した。あの日虐殺者は、私たちの誰もが「ユダヤ人」だと通告したのである。》 

(シャルリー・エブド 2016年1月6日 4面掲載 原文:Gérard Biard) 

 

 

 そして私たちは「ユダヤ人」になった