リヨンの教育委員会、エルドアン大統領の支持者に罵られた教師を見離す
中学校教諭だったSamuel Patyが斬首されてからというもの、フランス市民はイスラム過激主義に対して今まで以上に一丸となっているのかと思いきや・・・
リヨン5区にある中学校で、たった一人の保護者にイスラモフォビアの烙印を押された教師が、自主退職を申し出るという、残念な結末を迎えた事件が起こりました。
この事件は一月上旬に同僚が報道機関に明らかにしたもので、1月13日付のシャルリー・エブドにルポルタージュが掲載されました。
(油のシミは見なかったことに・・・)
リヨン5区にある中学校で、たった一人の保護者にイスラモフォビアの烙印を押された教師が、自主退職を申し出るという、残念な結末を迎えた事件が起こりました。
この事件は一月上旬に同僚が報道機関に明らかにしたもので、1月13日付のシャルリー・エブドにルポルタージュが掲載されました。
(油のシミは見なかったことに・・・)
このルポルタージュによると、経緯は次の通りです。 ↓
事の発端は、2020年11月9日、まだSamuel Paty殺害のショックが冷めやらない中、一人の男子生徒がその教師に、ある動画の話をしたこと。
フランス中を駆け巡ったというその動画の中で、マクロン大統領が「イスラム教徒は皆テロリストだ」と話している。ただし、この動画は繋ぎ合わせに過ぎず、実際に大統領はそのような発言はしていない。
それを受けて、教師は「動画はフェイクニュースの一つ」であり、「テロはイスラム過激主義者がやったこと」だと生徒たちに説明する。また教師は、トルコのエルドアン大統領は独裁者だとした上で、動画で使用されたフランス大統領の発言は、トルコ大統領のフランスに対する挑発的な言動を受けてのものだと話す。
同日13時15分、教師のクラスに在籍する生徒二人の父親が中学校にやってきて、その教師を見つけるやいなや「イスラモフォビア」呼ばわりし、エルドアン大統領を批判したことを非難し罵る。
教師はその父親から謝罪を求めるべく、生徒たち(父親の子供二人)と共に個人的に面談したいと申し出たものの、父親はそれを拒否。
11月13日、教師が、その父親を名誉棄損で訴える。と同時に、管轄の大学区(日本でいう教育委員会)に司法的な支援を求める。
大学区は一度だけ、教師に司法的な支援を約束する電話をしたきり、3週間が経過する。
12月10日、教師は大学区との対話の機会を得て、「生徒たちを転校させる」、「生徒たちがクラスを変わる」などの案が出されたが、どれも両親が納得しなかったため、教師が他校に移動する以外に解決策がなくなる。
12月15日、問題の生徒のうち一人が、それまでの2週間近くナイフを鞄に忍ばせて登校していたことが発覚する。
この件については「波風立たせないように」と何の措置もとられなかった、と同僚の一人が回想している。
12月17日、父親が大学区と話し合う予定だったが、父親は姿を現さず。
12月18日、教師は同僚宛にメールを残し、自主退職する。
地方新聞に宛てた教師の手記 → 「教育の有効性を信じられなくなりました。共和国が共有しない思想を生徒に教える気にはなれません。」
クリスマス休暇明け、本人不在のまま、同僚35名がストを起こすと同時に、メディアで全容が明らかにされる。
スト2日目の1月5日、同僚が大学区(教育委員会)に招かれ話し合いがもたれる。
しかし、そこでは大学区側は「すべてを尽くした」と言うばかりで同僚たちを更に憤らせる。
1月8日、大学区が、生徒2名を強制的に転校させる決定を下す。
・・・ということなのですが、ルポルタージュによると、教師の中学校では、ライシテ(政教分離)に的確な理解を示していた校長が去り、上からの指示に忠実な“真面目なタイプ”の校長が就任していました(正確な時期は不明)。前任の校長は、チュニジア出身で強制結婚から逃れた過去があったため、ライシテの重要性は嫌というほど理解していて、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件の時には、生徒一人一人と対話する時間を割いたほどだったと、教師の同僚が語っています。
もっとRectoratが親身なら、というか怠惰でなければ・・・、校長がライシテを理解していれば・・・、同僚がもう少し早くストを起こしていれば・・・等々、教師を留まらせる術はいくらでもあったはずで、悔やんでも悔やみきれません。
でも、この記事を日本語で書きながら思いました。
「トルコ系の生徒がクラスに在籍していることをわかっていながら、エルドアン大統領を批判するからだ。」
・・・とかなんとか思う日本人はやっぱり多そうだなぁ、と。
トルコ大統領は(私たち民主主義を追求する人間の目には)どう見ても独裁者だと認識することもなく、父親が理性を失うほど独裁者を“崇拝”していることを疑問視せず、そんな父親のもとで育てられる子供たちの将来を憂うこともせずに・・・!?
(ほぼ同じ内容の記事を、ネット新聞・日刊ベリタに寄稿しました ↓
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202102050106365
もっとRectoratが親身なら、というか怠惰でなければ・・・、校長がライシテを理解していれば・・・、同僚がもう少し早くストを起こしていれば・・・等々、教師を留まらせる術はいくらでもあったはずで、悔やんでも悔やみきれません。
でも、この記事を日本語で書きながら思いました。
「トルコ系の生徒がクラスに在籍していることをわかっていながら、エルドアン大統領を批判するからだ。」
・・・とかなんとか思う日本人はやっぱり多そうだなぁ、と。
トルコ大統領は(私たち民主主義を追求する人間の目には)どう見ても独裁者だと認識することもなく、父親が理性を失うほど独裁者を“崇拝”していることを疑問視せず、そんな父親のもとで育てられる子供たちの将来を憂うこともせずに・・・!?
(ほぼ同じ内容の記事を、ネット新聞・日刊ベリタに寄稿しました ↓
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202102050106365