続・真(ま)フランスの日常

フランスの時事、フランス生活の実態、エコライフ、日本を想う日々・・・                                    (ココログで綴っていた「真(ま)フランスの日常」 http://mafrance.cocolog-nifty.com/ の後継ブログです) 反核・反戦!

ヨーロッパを縦横断したサハラの砂にセシウム137が含まれていた件

1か月半前に「サハラの砂がヨーロッパ縦断!?」という記事を書いたのですが、内容が浅はかだったので、今更ですが捕捉します。

というのも、まず第一に、サハラ砂漠の砂といえども、いわゆる「黄砂」と同じで移動中に有害物質と結びついて大気を汚染するようです。

そしてもう一つ、このことは日本ではほとんど触れられていない上に、フランスでも空が黄色に染まった日から数週間たって、各メディアが恐る恐る(?)記事にしているのですが、2月6日にわが町にも降り注いだ砂の中から、なんとセシウム137が検出されました。

https://france3-regions.francetvinfo.fr/bourgogne-franche-comte/jura/les-poussieres-de-sable-du-sahara-etaient-porteuses-de-cesium-137-residu-d-anciens-essais-nucleaires-francais-1973641.html

自然界に存在しないはずのセシウム137が、なぜサハラ砂漠の砂に含まれているかというと、それはフランスが1960年代にサハラ砂漠で核実験をしていたから!

フランス3公共放送の記事によると、フランス領だったアルジェリアで、最初の核実験が行われたのは、1960年2月13日現地時間朝7時。

広島に投下された原爆の3~4倍の威力があったと言われています。

フランスはそんな実験を、1960年から66年の間、あろうことか、地上と地下合わせて17回も行ったのだそうです。

サハラ砂漠の砂がヨーロッパを縦横断する様子を目にすることは稀でも、現象そのものはよくあることだと言われています。

なので、実験の名残りを60年の間に少しずつ、しかし確実に受けていることになり、まさに因果応報・・・というか、その頃の実験を指揮した関係者にとっては自業自得でも、私たち一般市民には迷惑極まりない話です。

ちなみに、セシウムそのものの量は、「人体に影響を及ぼすものではない」と、お決まりの“なだめ文句”が日仏どの記事にも行儀よく並んでいますが、2015年の拙記事で紹介したラジオ番組でCRIIRADのRoland Desbordesが言っていた通り、低線量被爆に下限はありません

このことは例の原発ロビーに言いくるめられたまま周知されずにいるので、当時のDebordesの発言部分をもう一度貼っておきます。

 

 

長い間、放射線は上限値を定めれば、それ以下なら健康被害はゼロ、それ以上なら何かしら影響があると考えられてきました。ところが90年代になって、根拠のある上限値は存在しないことが明らかになりました。それは特にラドンという放射性ガスの研究を通してわかったことです。

 

結局、上限のない継続的な影響を受け入れざるを得なくなりました。言い換えれば上限値をいくら定めても、被爆量が微々たる量だとしても健康被害はあるということです。それはかなり厄介なことでした。なぜなら原子力を発展させたい場合は、上限値を設定しなければならないからです。

 

そこで、専門家たちは自分たちが受け入れられる範囲の被害の上限を提示することにしました。その許容範囲というのは、原子力の発展を妨げないことを前提に、死者数をできる限り抑えた、経済的に問題のない上限値なのです。上限値はそのようにして定められます。それは決して、健康被害がないと言い切れる上限値ではありません。上限値以下なら影響はないというのは真っ赤な嘘です。

(2015年3月11日 フランスのラジオ局Canal sud放送「FUKUSHIMA 4and après」より)

 


・・・というわけで、ヨーロッパを縦横断するサハラの砂は決して安全ではありません。

かく言う私は、あの後、砂まみれの車を素手で洗いました。

しかも、猿真似で私と同じようにスポンジを手にした次男と共に!

まぁでも、私たちはいいんです。車に積もったセシウム入りの砂を触るなんて滅多にあることではありません。

問題視しなければならないのは、サハラ砂漠、特にアルジェリアに住む現地の住人たちを襲う健康被害です。

https://www.rfi.fr/fr/afrique/20200213-soixante-ans-gerboise-bleue-alg%C3%A9rie-m%C3%A9moire-essais-nucl%C3%A9aires

上のrfi(フランス国際ラジオ)のリンクによると、当時被ばくした住民はおよそ4万人。この60年間でそのDNAは受け継がれ、残った放射能で更に被ばくし、癌、奇形、不妊などに悩む住民は目に見えて多いと言われています。

ただ、医師・医療施設の不足や、放射能の知識や情報の不足が足かせとなって、一度も正確な被害者の健康疾患の数が把握されたことはないそうです。

60年間の健康被害は闇の中へ・・・
 

更にもう一か所、核実験が原因で深刻な健康被害が確認されているのが、フランス領ポリネシア。

1967年にアルジェリア戦争終結とともに結ばれたエヴィアン協定によってアルジェリアにおける核実験が禁止となり、次に貧乏くじを引かされたのがポリネシアのムルロワを始めとする環礁地帯でした。

1966年7月に一回目の海洋核実験が行われ、シラク元大統領が1996年1月29日に核実験の終結を宣言するまでの30年間、193回(!)に渡ってそれは続けられました。

https://www.lemonde.fr/idees/article/2021/03/05/toxique-enquete-sur-les-essais-nucleaires-francais-en-polynesie-les-mensonges-de-la-france-dans-le-pacifique_6072003_3232.html
 

「海は海水で薄まるから」と、原発ロビーの輩は口をそろえます。

一方で、2016年、オランド前大統領は「(住民の健康や環境に)影響を及ぼしている」ことを認めました。

放射能のほとんどが海に流れたといわれている福島の原発事故でさえ、たった一度の爆発の後に、甲状腺がんの数は明らかに増えているのです。

 

それが海の中だろうと、30年で193回(うち46回は地上!)、10年で約65回、1年で6~7回、広島の原爆の少なくとも4倍の威力の爆弾が爆発すれば、何もないわけがありません!

 

ポリネシアで実験が行われた場所は今もフランス領なので、アルジェリアよりは健康被害の情報が把握されているようです。

 

でも、その多くは隠ぺいされ、フランスや日本でニュースになることはほとんどなく、現地の住民は核実験が原因だと気づかされることもないまま、被害に苦しんでいるのが実情です。

 

そんな中、2021年3月17日、シャルリー・エブドは、晩年の約10年をポリネシアで過ごしたポール・ゴーギャンの絵を“今風”に描き直して掲載しました。

 

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題して「RETROSPECTIVE RADIOACTIVE(放射性回顧←直訳)」

これらの風刺画は明らかに実態を誇張しています。

とはいえ、風刺画が、193回分の核爆弾の脅威や、それによる環境汚染、そして住民たちの心身の苦しみを超えることはありません。

確実に言えること、それは、これらの風刺画のように変わり果ててしまったことは計り知れないこと。

もう原子力はいらない。

それに尽きます。